気持ちのサンドバッグ

気になったことを調べて、まとめたり意見を書いたりします。あくまで個人によるエッセイなので、事実関係の確認はご自身でお願いします。(2017/7/31 一部画像の出典へのリンクが誤っておりました。現在は修正済みです。)

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「ラーメンを啜る人がいるのでやめさせてほしい」というのが応援上映会

 

 

現在ネット上で問題視されているもののひとつに、映画館における声出し可のイベント上映がある。おそらく子どもを持つ親からすれば、子どもが騒いでも許される雰囲気があって好ましいと思うだろう。普通の一般客から見ても、心の中で行っていた映画への働きかけを外面化させることができるよい機会である。声を出すためには、前提として映画を一度見ておく必要があり、映画業界としては新たな収入が期待できる。しかし、観客のマナーという面では、まだまだ見直すべき部分が多い。何が問題なのだろうか?


KING OF PRISM by PrettyRhythm

現在、注目されている声出し可のイベント上映のひとつが『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(配給:エイベックス・ピクチャーズ)のプリズムスタァ応援上映である。KING OF PRISMはプリティーリズムシリーズのスピンオフ作品で、シリーズ初の、総集編をメインとしない新作映画だ。このシリーズは、フィギュアスケートに似たスポーツ「プリズムショー」に精進する子どもたちの軌跡を描いたものである。KING OF PRISMは少年キャラクターに焦点を当てたもので、新キャラクターが多数登場する。これまでは、知っている少女達に声援を送る場であった応援上映が、ストーリーの明かされていない、知らない少年達を応援する場に移ったのだ。


コンセンサスの崩壊

従来は、このキャラクターにはこういう過去があって、だからこういう声援を送るべきだという前提があった。しかし、新キャラクターには、誰でも見られる公式ウェブサイトの他に、雑誌や舞台挨拶などのアクセスが限られる媒体からの情報しかない。つまり、受け手である観客による解釈の幅が限定されていないのだ。ましてや新規客であれば、旧キャラクターの設定や、ややもすればシリーズの旧作品で何があったかすらも知らない可能性がある。こうなれば、応援上映は秩序のない自由な表現の場となってしまう。


「ヤジ上映」と化した応援上映

もちろん、楽しいと思える掛け合いもある。KING OF PRISMには、あえて音声を入れずに字幕にし、観客に言わせるというパートがある。いわば、公式に与えられた声出しパートである。ここは当然、盛り上がる。他にも、料理好きの少年が、主人公に嫌いな食べ物を尋ねる場面がある。ここでは、観客が口々に嫌いな食べ物を叫ぶ。観客が主体的に映画に働きかけることのできる場面だ。中には、キャラクターが登場するたびに名前を呼ぶ人もいる。主人公が学校に入学するという設定のため、挨拶をするシーンも多い。『ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜』の予告編が流れると、告白をする主人公をみんなで応援する。そういったシーンでは、みんな笑顔である。

 

しかし、一部の発言をよく思わない人がいるのもまた事実である。度を超えた暴言やヤジが飛び交っていて、不愉快だと言うのだ。そのクレームは映画館や配給会社、制作会社などに届くことなく、ネット上で共有される。たしかに不愉快だと思ったのであれば申し訳ないという言葉に尽きる。

 

でも、クレームの内容によっては、「本人の許容範囲が狭すぎるだけなのではないか?」と疑わせるものもないわけではない。もちろん、登場人物を罵倒するようなヤジを飛ばす行為は、他の客の気分を害しても仕方ないだろう。だが一方で、「◯◯」というコールは気持ち悪いのでやめてほしいといった、個人の感情が優先されたクレームがあるのもまた事実だ。個人の感情が介在するクレームは、個人個人の価値観に影響される。すべて受け入れてしまうと、すべての個人の許容範囲を重ね合わせたほんの小さなコードの中で応援をしなければならなくなる。それでは、応援上映会の楽しみがなくなりかねない。


ラーメンから見る声出し可上映

まさに、グローバル化の現代で発生しているのが、ラーメン店での「ラーメンを音を立てて啜っている人がいるのでやめさせてほしい」というクレームだ。本来、音を立てて啜ることが流儀とされる日本の麺類に対して、グローバル化されたクレームが突き刺さる。海外では、音を立てて麺を啜るのはマナー違反であり、それがいけないことだと習った日本人も多くいることだろう。しかし、許容範囲の狭い人に合わせていては、いつまで経っても寛容な世界は作られない。(さすがに、音を立てないと不愉快だと思う人はそこまでいないだろうが。)価値観の多様化する現代においては、文化は文化として認めなければ、画一化された面白みのない世界、面白みのない上映になってしまう。今一度、心の許容範囲を見直してほしいものだ。

 

たしかに、筆者にも不愉快に思う場面はある。KING OF PRISMで、悪の首領が部下に、失敗したらお前の命はないという趣旨の発言をするシーンがある(ブログ掲載の都合上、柔らかい表現に言い換えた)。観客が大きな声でその言葉を叫んでいて、非常に不愉快であった。だが、それさえも赦さなければ、声出し可の上映という新しい可能性が消滅してしまうことになりかねない。不適切な発言をしたと反省することも必要だが、それを許すこともまた必要である。

 


最後に、この記事は声出し可の上映の地位を落とすものではない。むしろ、映画の未来のために、声出し可の上映が今後も続くことを願っている。そうした映画の未来は、私たち観客に掛かっている。

 


 


 

 

kinpri.com

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