気持ちのサンドバッグ

気になったことを調べて、まとめたり意見を書いたりします。あくまで個人によるエッセイなので、事実関係の確認はご自身でお願いします。

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ポケットモンスターサン/ムーンはアメリカ社会の縮図

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「島巡り」が抱える闇

ニンテンドー3DS用ソフト「ポケットモンスターサン/ムーン」は全ポケモンファンに衝撃を与えたと言って間違いないだろう。ポケモントレーナー通過儀礼である「ジム戦」を廃止し、それによって手に入る「秘伝技」を別のシステムに変更した。そして、代わりに導入されたのが「島巡り」である。

 

島巡りとは

島巡りは「アローラ地方」に暮らす少年少女に課された通過儀礼である。その内容はアローラ地方を構成する4つの島を巡り、その島の各地にいる「キャプテン」の出す課題をクリアした上で、その島の長である「しまキング」もしくは「しまクイーン」を倒すというものだ。課題はクイズから探索まで様々で、それをクリアするたびに、「Z技」と呼ばれる強力な技を出すことができる石「Zクリスタル」をもらうことができる。それが終わると何があるのかは、ゲームをやってからのお楽しみだ。

 

スカル団とエーテル財団

この島巡りの途中で主人公は2つの組織に出会うことになる。ひとつは、アローラ地方を牛耳るギャング「スカル団」である。スカル団はポケモンを盗むなどの悪事を繰り返し、地方を征服しようとするのみで、大きな野望はない。


一方、ポケモンを保護する正義の組織として、「エーテル財団」が登場する。エーテル財団は「エーテルパラダイス」という人工島を拠点に、人間によって傷つけられたポケモンなどを保護する活動を行なっている。この2つの組織が物語にどう関わってくるのかはプレイしてのお楽しみなのだが、これだけは伝えたい。この2つの組織はいつにも増して闇が深い。今のアメリカの縮図であると言っても間違いないだろう。

 

脱落者のセーフティネット スカル団

スカル団は、競争から脱落した人のセーフティネットである。悪の組織がセーフティネットというのもおかしい話だが、実際のところ、そういう立ち位置なのだ。物語が進むにつれて、スカル団の団員が島巡りからドロップアウトした大人であることが明らかになってくる。


リーダーのグズマ自体が島巡りを修了したにもかかわらず、神に選ばれず*1、しまキングになることができなかった人間だ。その下に挫折をした若者たちが集まり、大きな組織となったのだ。アジトは過去最大級に大きいので、ぜひその目で確かめてほしい。


話を元に戻すが、スカル団は大人になるための通過儀礼、ないしは教育から脱落した人間が集まる組織である。つまり、彼らは4つの段階をクリアすることができずに、立派な一人前の大人として承認されなかった人たちだ。島を支配するエリート・優等生であるキャプテンやしまキング・しまクイーンとは対をなす存在と言って問題ないだろう。

 

偽善団体 エーテル財団

エーテル財団は慈善の皮を被った偽善団体である。代表のルザミーネは一見慈悲深い女性に見えるが、可愛らしいもの・美しいもの・心惹かれるものを自分の手中に収めたいだけである。決して無条件に無償の愛を振りまいているわけではない。実はポケモンを使った研究もしており、保護は第一の目的ではない。中にはポケモンを傷つけるような研究もある。ポケモンの飼い主のことを「おや」と呼ぶが、彼女たちはまさに毒親である。


エーテル財団もスカル団と対をなす組織ではあるが、キャプテンやしまキング・しまクイーンとイコールではない。エーテル財団は他の地方からやってきた組織で、島巡りを経験していないのだ。ただし、研究をしているだけに学歴や偏差値も高いに違いない。だが、彼らには上に立つ者の傲りが強く顕れており、彼らの内面はノブレスオブリージュという名のエゴで塗り固められている。言い換えれば、エーテル財団は間違った方向に行ってしまったエリートである*2

 

 

社会のエラーに目を向けよう

このように、アローラ地方に存在する2つの組織は大きな闇を抱えている。競争からドロップアウトした者が集まる悪の組織・スカル団。外面だけいい顔をして、実際には悪事に手を染めているエリート集団・エーテル財団。キャプテンやしまキング・しまクイーンとして成功することももちろん大切だが、こうした社会が起こしてしまったエラーに目を向けることも重要だ。


そして、最後に問いたい。このゲームをプレイしている元子どもたちは、果たしていい大人になれているだろうか?

*1:しまキング・しまクイーンになるには、島の守り神「カプ」から選ばれる必要がある。

*2:ちなみに、しまキングの一人は、あくタイプ使いで強面の警察官である。彼の存在が必ずしも外面が全てを表さないことを象徴している。

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