気持ちのサンドバッグ

気になったことを調べて、まとめたり意見を書いたりします。あくまで個人によるエッセイなので、事実関係の確認はご自身でお願いします。

スポーツマンを場外で批判することはスポーツマンシップに反するのではないか?

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Photo via pixabay

 

スポーツの試合を裁くのは誰か?

スポーツの試合で暴徒化した観客が乱闘騒ぎを起こす。

海外のニュースでよく報道される光景だ。

 

だが、ネットが発達した今、その舞台はソーシャルメディアにも広がっている。


観客が持ち込んだ不適切な応援グッズがソーシャルメディアを通じて暴露されることもあるが、誤審や見逃された不適切な行為が指摘される場合もある。

競技場の外から勝手に眼差しを向ける彼らは、様々な形でスポーツ界の罪を裁こうとする。

 

 

 

罪を裁くべき者

ここで我々が目を向けなければならないのは、スポーツにおける「罪」を裁く権利が誰にあるのかだ。


そのスポーツがひとつの大きな国だとすれば、選手・チーム・審判・運営団体らスポーツに携わる人々が国民であり、審判や運営団体が警察や司法に相当する。


上記に挙げたようなサポーターと呼ばれる人々の規則違反についても、審判や運営団体が処分を下すことがある。

それらの人々が明白な刑事事件を起こした場合などに限り、一般の警察や裁判所に処分を任せることとなるが、実際には運営団体の側でも処分をする。


処分を受けるのは、選手やサポーターだけではない。

誤審などで審判に問題があったとき、運営団体が罰則を課し、場合によっては再試合を命じることがある。

営団体に問題があった場合は内部で調査を実施したり、罪状によっては一般の警察や司法が介入する。


このように、通常は審判や運営団体が、限度を超えると一般の警察や裁判所が処分を下すというのが、スポーツのやり方だった。

 

「罪」を裁こうとするネットユーザー

ところが、ネットが発達すると、ネットユーザーという外野が「罪」を裁こうとしてくる。

しかも、ここでいう「罪」は本来の罪よりも罪状が広く、重い。

 

戦犯を決める

テレビでスポーツを見ているお父さんが「◯◯の馬鹿野郎」とテレビに向かって怒鳴りつける行為は、以前からあったのだろう。

しかし、テレビ観戦者同士、あるいはファンと選手がネットでつながることによって、敗北の犯人探しが表沙汰になってしまった*1


内部事情や選手の当日のコンディションを知らない視聴者が勝手に敗北の原因探しをするため、その推理はあまりに短絡的だ。

例えば、プレイミスをした選手やその選手を起用した監督などが槍玉に上がりやすい。


おそらく、選手やチームとしては原因を正確に洗い出して、次までに改善したいのだろうが、視聴者はただただ叩きたい。

もちろん、勝ったほうがスポンサーのためにはなるのだろうが、負けることをネットで叩かれる義理はない。


叩かれることによって、選手はプレッシャーを感じ、次の試合でのパフォーマンスも落ちることだろう。

これでは、ファンというよりも借金の取り立て屋か何かだ。

 

見落とされたルール違反を指摘する

たしかに、テレビから客観的に見ることによって、審判の見落としに気づくこともある。

だが、それは本来、試合場という箱庭で解決されるべき問題だ。


一般的に、スポーツにおける審判の権力は、警察のそれよりもはるかに重い。

周囲の証言を聞くことなく、ペナルティを課す場合もある。

 

最近では多くの競技でビデオ判定が導入され、誤審に対して抗議ができるようにこそなっているが、監督や審判が気づかなかった些細な誤審やルール違反は基本的に裁きの対象ではない。


もちろん、試合の一部始終はテレビやネットで配信されている。

しかし、テレビ観戦者は神の視点で試合を見ているわけであって、試合場にいる人間の目に触れなかった行為は裁きの対象にならない。

神のお告げを人間が聞き入れるでもしない限り、判定は覆らないのだ。

 

ルール以上の処分を求める

スポーツに限らず、ネット上にはルール以上の処分を求める人が多い。

 

ネットに上げられた違法行為と思しき写真や動画に対し、被写体の個人情報を特定し、退学・解雇や自殺に追い込もうとするケースも散見される。

それらは法律や司法から逸脱しており、適切な処遇とは言えない。


そうしたネット私刑は、残念ながらスポーツの場でも起きている。

例えば、ルール違反や接触プレイなど、試合中に不適切な行為をした選手に対して、試合後に試合場の外で批判が集中するケースが最近いくつかあった。

 

しかし、不適切な行為をした選手は身柄が警察に引き渡されない限り、司法の罰を受けることはない。

そして、不適切な行為をした選手や所属チームなどは運営団体から処分を受ける。


スポーツの試合では、つい熱くなってしまい、不適切な行為に及んでしまうこともあると思う。

だが、問題を起こした人物は、試合中の自分の熱狂を反省し、熱狂を考慮に入れても許容しきれない分について処分を受ける。

 

それこそ、普通の法律の下で他人にタックルをしたら確実に罪になるわけで、スポーツに一般的な法律を当てはめることは難しい。


スポーツにおいては、許容されている行為が一般的な法律と異なる上、懲罰は悪を挫くのではなく、スポーツ従事者の頭を冷やすという役割を持つ。

もちろん、人種差別や反社会団体の礼賛などに関しては厳しい弾圧を受けるだろう。

 

だが、スポーツの熱狂において他の選手に軽い怪我を負わせてしまったこと、あるいは相手に非紳士・淑女的な態度を取ってしまったことを罰する資格は、審判や運営団体以外にはないはずだ。


罪を受け入れること、それを容赦することもまた紳士・淑女的行為である。そうすることこそがスポーツの流儀、スポーツマンシップではないだろうか?

 

プロ選手の敗北を責めるべきか?

負けることによる損害は視聴者にない

プロ選手は失態を責められて当然……本当にそうだろうか?

 

チームスポーツのホーム試合であれば、たとえ負けたとしても、グッズや飲食物が売れれば御の字だ。

中継をしたテレビ局も、贔屓にしているチームや選手が負けても、テレビ観戦者が盛り上がれば自然と視聴率は上がる。


チームスポーツの場合は、チームを所有する企業が優勝記念セールを行う場合がある。

 

だが、優勝できなかったからといって、ハムが安くならなかったことに怒る人はあまりいないだろう。

また、負けてスポンサーからの出資が減るとしても、視聴者に直接的な影響はない。

 

利害関係にある人々とは?

では、利害関係にある人々とは誰なのか?

 

それは例えば、公式ファンクラブに会費を払う人々であったり、選手に所属団体を代表されている人々であったりするのだろう。


つまり、自分の投資がチームに利用されていたり、選手が勝つことが自分の利益につながったりする場合、その人には選手を責める資格がある。

日本代表であれば、まさに日本人全員と利害関係にあるわけであり、逆に私企業の所属であれば、負けても一般人に損害はない。


一方で、全日本選手権に出場している私企業の選手は一見、日本人と利害関係にあるように思われる。

 

だが、入賞して賞金でも受け取らない限り、国民の血税の恩恵に与っているとは言えないだろう。

逆に言えば、利害関係にない選手の敗北を咎める人は、その選手に私怨を抱いているに過ぎない。

 

その選手や所属チームに金を払っている人、あるいは金を貰っている人だけが選手に石を投げるべきである。

*1:テレビが町に1つしかなかった時代がどうであったのかは知らない。だが、ファン個人同士が全国が繋がったのは、インターネットが出てきてからだろう。