日本の児童養護制度*1について調べているときに、「日本の家制度が養子縁組の普及の足枷になっている」という趣旨の指摘を幾つか見た。それについて考えているうちに、戸籍制度や親戚関係、「よそ(他所)」と「うち」の概念など様々な日本の家族制度の問題について想いを馳せた。その中で、「よそ」と「うち」という言葉について深く考えた。
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『プリティーリズム・レインボーライブ』森園わかなと他所への意識
この2つの概念について考えたとき、筆者はアニメ『プリティーリズム・レインボーライブ』の登場人物、森園わかなの存在を思い出した。森園わかなはフィギュアスケートに似た架空のスポーツ・プリズムショーをやっており、その中で様々な人に触れ合った。しかし、本当の自分を見せているのは、ごく限られた人物だけだ。わかなは他所では偽りの「自分」を演じており、彼女にフォーカスが移るまで、あたかもただの悪い子かのように描写されていた。当時の筆者は、彼女の内面が明らかにされていくにつれ、語尾をつけて自分を偽るなんて非現実的なキャラクターだと思っていた。だが、今思い返せば、日本人の他所への意識のありようを的確に表現したキャラクターかもしれない。森園わかなは様々な局面において、人格を的確に使い分けていたのだ。
エーデルローズ(べる)やプリズムショーに関連する場所(他所)→猫人格
物語初期では、ほぼこの「自分」しか見せていない。悪巧みをし、人を皮肉る悪い子ちゃん。(語尾が「にゃ」の語尾アイドル。)正義の味方ちゃんタイプのあん*2が大嫌いである。元々は、テストで100点(絶対的な頂点)を取れずに、完璧主義者の母が待つ家に帰れないというべる*3のために、相対的に低い点を取った「悪い子」(以下、猫人格)を演じてみせたことから始まっている。髪を猫耳の形に結っている*4が、髪を結っていないときでも、猫人格っぽいことはある。悪巧みをする心の奥底には心の闇があり、その正体は等身大の自分としての願い(あんやカヅキ*5にかまってほしい*6)である。
あんの家(他所)→丁寧で清潔感のある女の子
お泊り会*7であんの家に行った時は、普段(プリズムショー関連の他所の人に)見せている「自分」とはまったく別の「自分」になっていた。よそ様に迷惑をかけない、日本人にとって伝統的な「自分」であり、友人や家族の前で見せる自分とは異なる。感覚的なものなので機械的に表すことはできないが、家族と友達が両方いる状態では、ややこちらに近くなるようだ(一般的にも、わかな的にも)。
自宅(「他所」)→家族思いの女の子
意外にも、自宅でも等身大の自分にはなりきっていない。両親に見せる自分は、手のかからないよくできた娘である。実際のところ、亭主関白の父*8に逆らえない(力で押さえつけられる)という描写こそなかったが、カヅキたちストリート系と付き合わないように娘に言う描写はあった*9。母*10はわかなの味方であり、わかなのプリズムショーを見に行くよう、父を説得していた。そういう意味では、母に対しては、他所感が小さいようだ。
自室(内)→あんやカヅキとの関係を求める等身大の自分
すべての「自分」の集合体であり、ありのままの自然体の自分である。お泊り会では、自室にあんを招いたので、等身大の自分を見せていた。前述の通り、猫人格を作るきっかけがべるの悩みを解決するためだったので、べるも猫人格を作る前(猫人格以外)のわかなを知っている。そして、カヅキと一緒にいるときには、自然と等身大の自分(時に、髪を解いた自分)を出せている。心に秘めた闇を赤裸々に語ることができるのがこの人格であり、他の人格では、心の闇を明示しないようにしている。
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彼女が日本人のメンタリティーの具現化であるとすれば、我々は他所では、自分を見せないようにしており、もし、うちに他人が入り込んだらうちが崩壊し、自分を表現する場が失われてしまう。ただし、わかながほぼ自室でしか自分を表現していないことから分かる通り、誰でも、家族と触れ合う時はよそよそしいはずだ。「よそ」と「うち」の区別が養子縁組に与える影響はもしかしたら限定的かもしれない。もし、家が他所化することを恐れて他所の子を引き取らないと決めている人がいたとすれば、考えを改めてほしいと思う。彼らにとって、最善の環境は家庭環境なのだ。
*1:子どもの権利条約では、虐待や死別などで親元を離れざるをえなくなった子どもは、養子縁組などによって家庭環境で育てられるべきだと示唆されている。にもかかわらず、日本では、そうした子どもはほとんど児童養護施設に措置されていて、先進国の基準から大きく外れている。
*2:福原あん。煎餅屋「福々堂」の一人娘である。委員長タイプのしっかり者だが、スイーツが(食べることも作ることも)大好きで、父親から窘められることもある。仁科カヅキ(後述)は小学校のプリズムショークラブ時代からの仲であり、兄のように慕っている。
*3:蓮城寺べる。わかなと同じプリズムショーアカデミー・エーデルローズに所属している。わかなが転校してきた学校で、孤立していたが、転校続きで友達がいなかったわかなはべるが放っておけず、話しかけた。母親が完璧主義者であることからも分かる通り、英才教育を受けており、物語開始時点では完璧主義に染まっている。自分より目立ったり好感を持たれている人を僻み、嫌がらせをしている。
*4:同じく猫耳ヘアのプリパラの南みれぃと比べ、葉っぱっぽい。
*5:仁科カヅキ。ストリート系プリズムスタァで、看板屋の息子。前述の通り、あんが通っていた小学校でプリズムショークラブの部長をしていたことがあり、今もあんを妹のように可愛がっている。座右の銘はフリーダム。プリズムショーも自由でいいと思っている。べるの「失敗しないでね」という言葉に囚われて大会で妥協した(確実にできる「2連続ジャンプ」にとどめ、「3連続ジャンプ」に挑戦しなかった)わかなを強く非難し、わかなが「3連続ジャンプ」を跳ぶきっかけを作った。
*6: (2016/6/6 Added) 実はあんとカヅキがいた小学校に一時的に在籍していたことがあり、あんとプリズムショーをやっていた。あんと初めて跳んだジャンプは「ハートフルスプラッシュ」であり、前作と前々作でメインキャラクターが跳んでいた基本技である。ただし、カヅキとあんはわかなのことを覚えておらず、わかなは一方的に執着していた。ちなみにわかなは、シリーズ中盤より第1作オーロラドリームの主人公のジャンプ「フレッシュフルーツバスケット」を跳ぶ。
*7:第36話「お泊り会でふたりはめちゃウマ!?」にて、2人組大会に出場するため、わかなとあんでペアを組むことになり、絆を深めるため、互いの家でお泊り会をすることになった。
*8:森園正。威厳のある亭主関白。転勤族であり、家族を世界各国に連れ回した。その結果、わかなはずっと友達ができなかった。ずっと転勤を断っていたようだが、ついにシンガポールへの転勤が決まった。
*9:実は、父は元ヤンキーで、威厳を見せるために亭主関白を演じていたようだ。つまり、娘が不良にならないための戒めであった。母も薄幸な妻ではなく、元レディースである。
*10:森園フタバ。亭主を支える薄幸な妻を演じていた。ストレートのロングヘアだが、手に巻いているヘアゴムで髪を結うと、わかな同様、猫人格になる。友達ができて生き生きとしているわかなに心を動かされ、夫に、シンガポールへは単身赴任するように命令する。