宗教を正しく理解しよう
東京のキリスト教系の大学の説明会が開かれるという情報をキャッチしたので、気になって調べました。
大阪会場:2016/7/3(日)11:00-17:00
静岡会場:2016/9/22(木・祝)11:00-17:00
熊本会場:2016/10/23(日)11:00-16:00
参加大学:青山学院大学、国際基督教大学、上智大学、東京女子大学、明治学院大学、立教大学
以上、引用および転載。詳しい会場と日程はリンク先のウェブサイトをご覧ください。
国際基督教大学と明治学院大学以外の4校は、東京以外でも有名だと思います。上智大学は東京の四大私立大学の1つで早稲田大学や慶應義塾大学、東京理科大学と肩を並べています。
青山学院大学と立教大学は、GMARCHと呼ばれる主要私立大学の中の2つです。これらのキリスト教系の大学は、設立にキリスト教の宣教師が関わっていたり、設立者がクリスチャンだったりします。
「宗教は怖い」
最近では、メディアの報道も誤解を避けるように動いていますが、大学受験を検討している皆さんの中には、そう思っている人も少なくないのではないでしょうか?
宗教系の大学に入ったら、過激な思想に洗脳され、あるいは非現実的な思想に感化され、「人格を失ってしまう」のではないか、というような危惧をしている人もいるかもしれません。しかし、これらの大学は極めて健全です。
特に、筆者の卒業した国際基督教大学は、大学の名前から、学生をキリスト教徒に教化し、牧師を養成する学校だと思われがちなのですが、そんなことは一切ありません。
宗教に対してより適切な理解をするようにはなりましたが、筆者は洗礼も受けていませんし、教会にも通っていません。
それどころか、(おそらく)神の存在や宗教の意義を疑う人も周りにはいました。キリスト教系の大学は、学生に信仰を広めることを目的とした大学ではないのです。
まずは、宗教の概念や自分の信仰を疑ってみましょう。
「私に宗教は関係ない」
「私は無宗教」
生きている限り、あなたは宗教に触れているはずです。
いったんキリスト教から離れましょう。
例えば、年上の人を敬うのは儒教的な考えですし、神社に合格を祈願するのは神道的な考えです。
結婚式やお葬式は何らかの宗教の形をとっているはずですし、お盆や節分などの年中行事も、何らかの信仰によって成り立っているはずです。
私たちの生活において、宗教は欠かせない存在であり、それを忌避すれば、食事すらもままならなくなります。
自分に宗教は関係ないという考えは捨てましょう。
「宗教は洗脳」
宗教は、人間の曖昧な部分を補います。
たしかに、宗教は非現実的です。人が神によって作られたわけではなく、猿から進化したというのは科学的に主流な考えになっています。
あの世に天国や地獄があることを証明できる証拠も、どこにもありません。それどころか、宗教は人を殺し、人を苦しめています。
こんなものを信じてよいのでしょうか?
「宗教は人殺し」
まず、宗教が人を殺しているというのは、大きな誤解です。
宗教の教典を文字通り読んだり、恣意(しい)的に解釈している人が人を殺したり、「異端者」を苦しめたりしているのです。
今は、教典に書いてある内容を比喩として解釈したり、教典が書かれたその当時の時代背景を考慮して現代風に読み替えたりする読み方もあります。
宗教はむしろ、人を生かす存在です。
人がこの世で生きる上で何を大切にすべきか、つらいときにどうすればいいのかなど、生活の中の「曖昧な部分」を補ってくれます。
「宗教は考える余地を与えない」
もちろん、その考え方はその宗教を信じている人の間での話であって、信じていない人はそれを受け入れる必要はありません。
つまり、曖昧さの補い方は信仰によって変わるのです。
むしろ、人によって変わると言ってもいいかもしれません。
同じ宗教でも、宗派によって信仰が異なります。中学や高校の歴史の授業で習った仏教だってそうだったと思います。
それよりも重要なことは、どんな本でも、人によって解釈が異なるということです。
それは、読者が著者に洗脳されているのではなく、自分でその本について考えているからです。
健全な宗教を信じている人は、自分で考えているのであって、洗脳されているわけではないのです。
信仰は自由
まとめると、宗教は自由であって、基本的な考えから逸脱しない限り、禁止されません。
しかし、過激主義のように、人に危害を加える存在になれば、排除されます。
大学は知的空間なので、教員や牧師・神父から説かれる限りにおいては、洗脳の心配はありません。
彼らはあなたに考えさせますから。
信仰を強制されない
キリスト教に教化されることはない
あなたにはキリスト教の教えを受け入れない自由があります。
実は、大学の主要な行事においては、宗教的な文化が入り込む場合があります。
例えば、筆者が卒業したICUでは、入学式と卒業式は礼拝形式で、賛美歌や牧師による聖句の読み上げもありました。
しかし、それに対する参加は強制されず、その言葉を受け取ったことを確認されることもありませんでした。
定期的な礼拝への参加も強制されず、筆者の場合、在学中は1回も礼拝に参加していません。
ただし、ICUの場合は、キリスト教概論と呼ばれる授業が必修科目になっていて、キリスト教や聖書の成立背景、主要な聖句の解釈などについて習いました。
これは高校まででいうところの倫理と道徳の中間のような科目であり、学生を教化するものではありませんでした。
宗教など無意味だ、神は存在しないなどという議論を切り出しても怒られない場所です。
他の大学にも同様の科目があるかもしれませんが、おそらく、あなたがキリスト教を信じさせられることはありません。
牧師・神父になれるのはごく限られた敬虔な信者
キリスト教系大学に入っても、キリスト教信者でないあなたが牧師や神父になる可能性はほぼゼロに近いです。
そもそも、神父になるための学部があるのは、この中では青山学院大学のみで、しかも、そこにはノンクリスチャンは入れないようになっています。
もちろん、無理に牧師や神父にさせられるということもありません。
ただし、キリスト教の信仰に触れたことをきっかけに、卒業後に洗礼を受ける人も一定数いるのは事実です。
でも、多くの人は、大学で触れたキリスト教を忘れるか、キリスト教の教えを胸に普通に社会に出て行きます。
別の信仰を持っているので入れない?
その信仰がキリスト教や教会を忌避する教えでない限り、信仰を邪魔されません。
前述の通り、キリスト教を受け入れる必要はありません。
あなたが寺の息子であっても、神社の中性的な子であっても、モスクの娘であっても、キリスト教系大学ではあなたの信仰を貫くことができるはずです。
キリスト教はこの世の最も小さい者に仕える宗教だと言います。
あなたがどんな境遇にあっても、キリスト教系大学はあなたを受け入れてくれるはずです。
そうしたキリスト教系大学を進学先に選ぶことは悪くないことだと思います。
もちろん、キリスト教と関わりたくない人も、キリスト教大学に入ることで何らかの被害を受けるわけではないので、ぜひ受験を検討してみてください。
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(2017/9/6 一部文言を修正し、改行を追加。)
(2018/5/14 一部文言を修正し、改行を追加。)