気持ちのサンドバッグ

気になったことを調べて、まとめたり意見を書いたりします。あくまで個人によるエッセイなので、事実関係の確認はご自身でお願いします。

秘密基地を作れない子どもたち〜子どもが遊べないと人類は滅亡する〜

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Photo via PEXELS

 

元気な子どもたちに擁護の声も

最近目を引いたニュースに、竹林の竹が30本伐採された事件の犯人が子どもたちだったというものがある。

子どもたちは秘密基地を作るために材料が欲しかったとのことだ。

 

www.sankei.com


これに対し、ニュース記事を含め、同情や懐かしむ声が多く寄せられている。

 

悪いことをしたのになぜこれまでに同情の声があるのかといえば、それが子どもの正常な発達過程であるからだ。

子どもはテレビを与えられ、ゲーム機を与えられ、最近ではスマホを与えられ、集団の中で遊ぶということができなくなっているとよく言う。

 

しかし、コミュニティを形成し、その中でルールを作る行為、あるいは遊びという社会活動を行っていく中で遭遇する様々なトラブルは子どもを成長させる神聖なる儀式である。

したがって、大人はそれを助けていかなければならないのだ。

 

 

 

秘密基地が子どもの発達に与える影響

遊び全般の特徴

遊びは子どもに大人の資質を叩き込む。

例えば、厚生労働省は遊びを次のように定義している。

 

遊びは、子どもに対して楽しさを与えるだけではなく、運動能力を高め、知覚の発達や概念形成、言語の獲得を助け、社会性や創造力などを養う機会を提供することによって、子どもの身体的、精神的、社会的発達などを促すものである。

国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」5ページより*1

 

子どもは、遊びを通して自らの限界に挑戦し、身体的、精神的、社会的な面などが成長するものであり、また、集団の遊びの中での自分の役割を確認するなどのほか、遊びを通して、自らの創造性や主体性を向上させてゆくものと考えられる。

同上

 


言い換えれば、遊びは子どもに大人になったときに必要なスキルを身につけさせる。

リスクを回避しつつも活発に活動し、仲間と打ち解け合い、助け合いながら暮らしていくための教えが遊びの中に組み込まれているのだ。

 

そういう意味では、竹林を伐採して偉い人に怒られるというのは適切なプロセスだったと言える。


一方で、今回の子どもたちを根源的な悪に仕立て上げ、あるいは、秘密基地を作るという行為を悪徳であると学習させるのは違う。

そうすれば、今回の当事者だけでなくニュースを知った子どもたちの多くが、過剰にリスク回避的になり、挑戦することを恐れてしまうだろう。

 

いずれにしても、遊びと呼ばれる活動は子どもたちの健全な発達のために役立つのである。

 

自然とのふれあい

さて、現在は室内の遊び場も存在するが、自然の中で遊ぶことも重要である。

自然とのふれあいは感性を育て、生きる上で重要な知識や知恵を身につけさせるからだ*2

 

どれだけ絵画についての知識を高めたところで、それを美しいと思う心が育たなければ意味がない。

どれだけ高学歴になっても、豊かな感情がなければ、幸福を享受することはできない。

 

魚が切り身で泳いでいると思っている子どももいると言われているが、そうした子どもを減らすためにも、日頃から自然に触れさせることが必要だ。


中には「木のぬくもりを感じる」という感覚こそが幻想だ、と言う声もあるのはわかっている。

しかし、自然とのふれあいの中には可視化されない成長以上に大切な価値も隠されている。

 

今回は他人の敷地の竹を勝手に伐採していてよくないが、いつかは木を斬ったり、薪を割ったりすることも必要になる日も来るだろう。

例えば、最近のキャンプ場はあらかじめ薪が用意されていて*3、わざわざ伐採する必要もない。

(さすがに木が薪の状態で生えていると思っている子どもはいないだろうが。)


これでは、震災などの緊急時に火がつけられず、暖をとることができない。

さらに言うと、山や海との関わりが薄れてしまえば、水の流れ方や避難に適した高台など、生き残るために必要な情報を手に入れることもできなくなる。

 

そうならないためにも、自然とふれあい、自然を活用する経験はあったほうがいい*4


少々風呂敷が広がりすぎてしまったが、自然とのふれあいで培われる主な素養は

  • 長期的な心身の成長
  • 自然に対する知識
  • 自然と付き合うための能力

だと言えるだろう。こうした恩恵のためにも、普段から自然とふれあうことが求められる。

 

秘密基地に特有の特徴

秘密基地遊びといえば、大人の手の届かない場所で数人の子どもが閉鎖的なコミュニティを形成し、集団で活動をするものだ。

現在は室内や家庭の庭など、大人のいる場所で行われることもあるようだが、子どもが遊びの中心であることを仮定する。

 

子どもたちは拾得した素材を利用して基地を作り、または既存の構造物を流用し、ときにそこに私物を持ち込む。

誰を入れてはいけないかなどのルールを作り、合言葉を共有する。

一見ただの遊びに見えるこの営みは、子どもに多くのことを教えている。


まず、秘密基地を作る過程において、子どもはより広い空間を認識できるようになり、より広く、深く友人と関われるようになる。

それから親と離れた場所に自分の場所を作ることで、自主性を高めていく*5

 

一方で、その過程では友人との協働も必要となることから、帰属意識や仲間との協調についても多くを学ぶ*6

これらは親の目がないからこそできる行為であり、また、隠れる場所が必須となる。


それに、材料集めや隠れ家づくりの過程で、段ボールなどの様々な素材やカッターナイフなどの工具に触れることも考えられる。

前述の内容とも少し重なるが、実践的な道具の使い方やどこに何が売っているか、落ちているかなどを把握することにもつながる。

 

社会で生きていくために必要な技能が手に入ると考えることもできるだろう。

もちろん、現代の過保護な社会においては難しい部分もあるが、子どもが自己認識を深め、大人に近づくためにはもってこいの遊びである。

 

親の目を離れて外で遊ぶことのリスクと過剰防衛

事件や事故に巻き込まれる

児童を狙った犯罪が高度化する現在、子どもを事件や事故から守る必要があるというのはもっともだ。

しかし、子どもを守りたい一心で過剰防衛になってはいないだろうか?

 

現代は、「若い男が『こんにちは』と言う事案」という内容が防犯情報サイトに書き込まれるような時代になっている。

避けるのは悪者の「オオカミ」や「魔女」だけでいいのに、『シンデレラ』の「魔法使い」や『桃太郎』の「犬」まで避けているという印象がある。

 

専門家からは、いざという時に子どもを守る大人がいなくなるという指摘も出ているようだ*7

 

親としては、面倒やトラブルに巻き込まれたくないと言うのが本心だと思われる。

だが、成長過程で面倒に巻き込まれなかった子どもが大人になったらどうなるかは、考えるまでもない。

 

たしかに、子どもが亡くなったり重傷を負ったりする事故や、誘拐事件、性暴力事件などは絶対に避けたい。

でも、子どもには程よい危険、程よいトラブルが必要なのであって、それら全てを取り除くことはよくない*8


一般に、子どもは失敗から多くを学ぶ。

 

もちろん、防犯ブザーや反射板のような防犯・事故防止グッズは持たせておくべきだ。

だが、過保護になってしまうと、危険を避けるための能力が落ち、他人との距離の取り方もわからなくなってしまう。

それは避けなければならない。

 

感染症にかかる、衛生的ではない

リスクというよりも懸念だが、子どもが泥まみれになることに関してよく思っていない親もいるようだ*9

 

洗濯が大変だし、体の泥も洗い流さなければならないので、親御さんの声にも頷ける。

特に、公園の砂場などには野生の犬や猫の糞尿が混ざっているかもしれないため、衛生的ではなく、感染症にかかってしまうという恐れもあると思う。

 

だが、むしろ泥まみれになって遊ぶことこそが免疫力を高めるそうだ*10


もちろん、お菓子を作ったり料理をしたりするときなどは清潔に越したことはなく、消毒液でしっかり除菌するべきだ。

でも、それを使いすぎると、菌に耐えられない弱い体になってしまう。

子どもに健康に育ってほしいなら、汚れることを恐れてはならない。

 

子どもが遊べないと人類は滅亡する

遊びは子どもを大人にするための通過儀礼である。

 

そもそも、大人に必要なスキルには、遊びから得られるものも多い。

親から厳しい制限を受けた子どもは主体性をなくし、あるいは怒られまいと萎縮する。

したがって、子どもには自由な遊びが求められる。

 

例えば、自然の中での遊びは五感を拡張し、自然との向き合い方を教えてくれる。

汚れるだとか面倒だといった親側の都合は、子どもを強く、たくましくする上で大きな障害となるだろう。


秘密基地を作るというのは、子どもに自立を促す遊びの代表例だ。

材料調達から運営までを子どもが担い、その中で様々なスキルを身につける。

親の管理が及ばない範囲であるため、現代の過保護な親にとっては不安な部分が大きいと思う。

 

しかし、危険を理由に子どもをその手の中で拘束していては、いつまで経っても子どもは自立できない。

こうした風潮が出来上がっているのだとしたら、人類全体が健全な成長をすることができなくなってくるだろう。


このように、遊びは人類が命を繋いでいく上で必要とされる神聖な行為なのだ。

禁止事項をどんどん増やしていく公園や騒音を理由に保育園の設置に反対する人々は、人類の滅亡に加担していることを自覚してほしい。

 

(遊ぶことを強制するのではなく、遊ぶことを阻害しないことが大切だ。

一方で、子供の限界を推し量ることも忘れてはいけない。

子どもを過剰な危険から保護するのがセーフティネットたる親の役目である。)

*1:報道発表資料:「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」について - 国土交通省

*2:1.1.体験活動の教育的意義:文部科学省

*3:子どもの「自然遊び」で学習意欲を育もう | WORK AGAIN | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

脚注先との関連は薄いが、娯楽施設などの「用意された」遊びによって、子どもの自主性や創造性が制限されてしまうという指摘もある。

"遊ぶ子は賢くなる"調査まとまる | 子ども・子育て | NHK生活情報ブログ:NHK

遊びを意図・計画し、親が自由に遊ばせないことは、子どもの自主性の発達の遅れの一因らしい。

*4:木登り・水遊び 僕の秘密基地 都市圏に子どもが冒険できる公園 :日本経済新聞

自然が少ない印象のある東京23区にも、子どもが自然の中で自由に遊ぶための施設がある。

*5:財団法人あしたの日本を創る協会

子どもが表現した空間それ自体が本人の在りようを表現しているようだ。

*6:https://myoko.niye.go.jp/result/H26/youji.pdf

*7:見知らぬ人すべて「不審者」扱い これじゃ誰も子ども助けない教育評論家の尾木直樹さんに聞く : J-CASTニュース

*8:【仲間関係のなかで育つ子どもの社会性】 第1回 親によるピアマネージメントの提案 - 論文・レポート

*9:子どもの体力向上のための総合的な方策について(答申)

文科省の報告でも、保護者がそういった遊びを好まないことが示唆されている。

*10:清潔すぎると免疫力が落ちる? 「泥んこ遊び」で子供の免疫力が高まる理由 | 本を中心としたニュースサイト「ビーカイブ」