視覚障害者が白杖を持つことにおける問題
前回記事を書いた後、ご指摘を頂いたので、白杖について情報を付け加えたいと思う。
前回の記事に対する指摘は、白杖ユーザーが訓練を受けていることは理想であり、現実・事実ではないというものだ。
実際に調べてみると、たしかに視覚障害者は白杖の使い方を学ぶ機会を十分に得られていない、あるいはそれを拒否している場合があるということがわかった。
視覚障害者の白杖は特権ではない 義務だ - 気持ちのサンドバッグ
白杖を持てない視覚障害者
なくても平気という思い込み
少し目が見えているので、白杖がなくても歩けると信じている視覚障害当事者もいるようだ。
この場合の問題としては、白杖や盲導犬の必要性へ気づきが事故に遭ってからになってしまうこと*1。
それから、進行性の病気で視力を失っている場合にどんどん目が見えなくなり、ひとりで歩けなくなっていくことが挙げられる。
眼鏡ユーザーが眼鏡を外すと周囲の風景がぼんやりしたり、物につまずいたりするかもしれないが、視野が欠けている人やほとんど目が見えない人はもっと大変な苦労をしているのだ。
さらに悪いことに、白杖(や盲導犬)は薬や湿布のように処方されるわけではないので、持ちたくない人は持たなくて良い(法律上は義務)という問題もある。
行政に申請すれば購入費用の一部を負担してもらえるのだが*2、認知されていないという問題もあるかもしれない。
もちろん、役所に申請するためには公共の交通機関を利用する必要があり、そこもネックになっていると思う。
IoTだのeコマースだのオムニチャネルだの言っているこの時代に、役所に行かなければ手続きができないのだとしたら、時代遅れと言わざるを得ない。
訓練できる施設は山のようにあるので、視覚障害者で白杖や盲導犬を利用していないという方は是非に利用してほしい。
そうしなければ、あなたは法律違反だ。
(確認だが、白杖を持つと誰でも簡単に歩けるというわけではなく、一定の期間の訓練が必要である。
人間が移動に使う他の外部機器に喩えるならば、ローラーブレードやスキーに近いのかも知れない。)
白杖を持つことへの危惧や恥
精神障害や性同一性障害などと違い、身体障害者の一種である視覚障害者が社会に溶け込むことは難しい。
世間の冷たい目に晒されることを危惧して、白杖を持てないでいる人もいるのだ*3。
特に後天性の糖尿病で視力を失っている場合、生活習慣が原因とみなされるため、世間に知られたくないというのは納得がいく。
でも、周囲の人と関わらずに生きていくことは難しい。健常者だって、怪我したときや体調が悪くなった時は周りの人に介抱してもらうではないか。
歩行中に他人に助けてもらう機会が増えるだけであり、他人に助けられること自体は決して恥ではない。
(嫌な場合は、申し出を断ってもよい。)
以前から問題になっているような白杖ユーザーへの嫌がらせをなくすためにも、身近な人に視覚障害者の存在を隠すのではなく、身近に視覚障害者がいるということを知らせて、配慮を求めていくほうがより合理的だ。
当事者やその家族は、知られることによって事実が広められるよりも、何も知らない人が勝手に噂を広めることのほうが危険であることを認識すべきである。
(逆に、性同一性障害やトランスジェンダーの場合、性別の移行を始めるときのみ職場などに知らせるべきであり、最初から性別移行が進んでいる場合は報告しないほうがよいようだ。
全ての病気や障害、その他配慮すべき事項について同じ対応が取られるわけではないということは念頭に置いておこう。)
白杖を知らない
最近では白杖について学校で学ぶ機会が増えているが、まだまだ(特に上の世代には)よく知られていない。
白杖ユーザーが危険に晒されるのも、白杖が何のために使われるもので、どのような使い方をするのかへの認知が進んでいないというところが大きいだろう。
私も今回調査をするまでは、白杖ユーザーが白杖をどのように使っているかまでは知らず、「点字ブロックに物を置いてはいけない」ぐらいの知識しかなかった。
家庭科の授業で視覚障害者を誘導する演習をする場合もあるようだが、救命講習のように資格が取れる本格的な講習も必要だと思う。
もちろん、突然視覚障害者になった人(中途視覚障害者)もそれは同じで、よく知らない白杖というものの使い方をマスターしなければならない。
これは、事故に遭って身体の一部が動かせなくなった人が行うリハビリテーションと同じ類のものであろう。
現に、リハビリテーション施設でも白杖を使った歩行訓練を実施している。
リハビリ施設では、脚を失った人や半身不随になった人もよく知らない義足や車椅子を使って訓練をしている。
健常者の私にはそうした訓練の一時的な体験ぐらいしかできないが、当事者たちが暮らしていくために必要なものだということはわかる。
私だって、眼鏡がなくては生きていけない。
先入観や偏見による当事者たちの拒否感を和らげるためにも、歩行訓練や白杖の存在意義を根気強く広めていくことが必要だろう。
白杖に対する紛争を防ぐために
視覚障害者がスマホを使うことへの無理解
白杖ユーザーに絡む問題として、白杖とスマホを併用すると障害者詐欺扱いされるというものがある。
現在は視覚障害者向けのオプションや日本語の音声認識・読み上げ機能も発達しており、画面(出入力部)に凹凸のないスマートフォンでも、視覚障害者は快適に使うことができる*4。
しかし、何も見えていない人(この時点で誤解)に、画面が見えないと操作できないスマートフォン(これも誤解)を操作できるはずがないという誤解から、「偽障害者」呼ばわりされ、嫌がらせを受ける人も多いようだ。
そもそも、スマートフォンは出力装置である液晶画面と入力装置であるタッチパネルが一体化したものであり、パソコンのようなものである。
パソコンにマウスやキーボードがつくように、スマートフォンに視覚障害者をサポートするような周辺機器(例えば、凹凸のあるBluetoothキーボード)をつけることも可能だ。
逆に言えば、液晶画面は目が見える人用の出力装置なだけであり、それを必要としない人はそれを使わなくても良い。
現に、昔のコンピュータには画面はなかった。
長ったらしくなったが、画面が見えない人はスマートフォンを使えないというのは愚かな考えである。
苦情への対応
不満への対応がネット上で行われてしまうことも、嫌がらせが絶えない理由のひとつだ。
そもそも、身体障害者への苦情は言ってはいけない雰囲気がある。
逆に身体障害者側も、周りに迷惑がかかるのではないかという不安から健常者への苦情を言い出せない可能性がある。
障害当事者にせよ、傍観者にせよ、直接言えないからネットに流してしまうのだろう。
だが、これは事件の解決には結びつかないので、望ましくない。
実は、補助犬ユーザーに関しては、店舗や公共施設で不適切な扱いを受けた場合に苦情を言う権利があり、補助犬ユーザーの不適切な行為があった場合は受け入れた施設側も苦情を言うことができる*5。
しかし、これは身体障害者補助犬法による規定であり、盲導犬を連れていない視覚障害者には関係ない。
つまり、嫌がらせを受けても、泣き寝入りするしかないのが現状だ。
そのような不満をネットユーザー同士で議論して地獄絵図になるよりも、身体障害者と健常者、あるいはそれ以外の障害者の利益を行政が調整するのがよいのではないだろうか?
その上で、障害者への理解を深める教育を進めるなり、障害者に指導するなりすれば良い。
ただし、苦情を言っている側に問題があるならば、苦情を言っている側に改善を求めるのが筋である。
間違っても、「混雑時のベビーカーの利用は控えるべきだ」のように、弱いものに苦難を強いる修正をしてはいけない。
いずれにしても、配慮が必要な人とそれ以外の人が相互に理解しあうことが紛争解決への近道である。
求められているのは外から見た正しさではなく、中から見た心の満ち欠けなのだということを付け加えておこう。
結局のところ、白杖を使わない健常者は
結局、「白杖ユーザーは訓練を受けているので、健常者は安心してほしい」というのは戯言でしかない。
むしろ、視覚障害者が安心して白杖を使えるよう、社会(特に健常者)が認識を改めなければならない。
中途視覚障害者やその家族が誤解を恐れてしまうのは、健常者社会の視覚障害者や白杖に対する偏見が原因だ。
各種教育機関では障害者への理解を求める教育が進められているものの、まだまだ障害者への肯定的なイメージの形成には程遠い。
そのため、知識のある健常者が率先して啓蒙していくことが大切である。
*1:誤解しないで、「白い杖」聴覚障害でも使用|日テレNEWS24
通勤時間帯に駅で転倒してしまうことが例として挙げられる。
例えば、緑内障で視野が欠けている人にとっては、街中で突然、人が視界に飛び込んでくることもある。
健常者であれば気づける危険に、視覚障害者は気づけないということを我々は理解しなければならない。
第3回 訓練がスタートしてから |リハ職員のつぶやきコラム|リハビリテーションを利用する|日本盲導犬協会
こちらのサイトで紹介されているケースでは、周りに子どもがいることに気づかなかったという経験から、日頃より白杖を持つようになったそうだ。
白杖や盲導犬がいないと、自分が怪我をするだけでなく、周りにも怪我を負わせてしまう可能性があることがよくわかる。
白杖は目の代わりになるデバイスなので、それを拒否するというのは「目なしで生活する」と言っているのに等しい。
目から入力される情報があって初めて、人間は危険を避け、あるいは他人に衝突することを回避できる。
同じように、白杖や盲導犬という目があって初めて、視覚障害者は安全に暮らせるのだと思う。
*3:安山 周平・原田 敦史: 白杖使用を拒否したケースの歩行訓練 ―― ケース報告. 視覚リハビリテーション研究 第2巻 第1号, pp.11-13, 発表論文, 2013年1月31日. 論文誌 視覚障害リハビリテーション協会:ゲストページ
上記の報告の場合、当事者は訓練を積み重ねていく中で白杖の重要性に気づき、白杖の訓練を望むようになっている。
「なくても平気」という思い込みよりも歩くことの楽しさが勝ったようだ。
第2回 白い杖を持つまで|リハ職員のつぶやきコラム|リハビリテーションを利用する|日本盲導犬協会
このケースでは、目が不自由であるという弱みが世間に広まることを当事者の両親が危惧し、白杖を持たせることに反対していた。
しかし、スタッフの粘り強いコミュニケーションの結果、当事者側から訓練を受けたいという意思が確認でき、訓練を受けるようになったということだ。