費用削減と「最低限」
何が言いたいか
長くなったので、とりあえずこの記事で言いたいことを先にまとめておく。
- LCCの提供する「最低限」のサービスというのは、「最低限」航空会社としての体面を保てる程度のものということではなく、旅客が安全で快適に渡航できるだけの「最低限」のサービスのことである。
- たしかに車椅子ユーザーを受け入れるためにはコストがかかるが、LCCといえども、外国人や子どもを含む多様なニーズに応えなければならない。旅客機に乗るというのは、旅客にとっての「最低限」である。
- 日本人の100人に1人は肢体が不自由なので、同じ旅客機に肢体不自由者が乗っていることは容易に想像でき、また、新たに迷惑やコストがかかるわけではない。
- 迷惑というものは普遍的であり、誰しも他人に迷惑をかけることは避けられない。そんな中でも、車椅子ユーザーが自分に向けられるサービスを最低限に抑える目的でLCCを使用することは認められるべきだ*1。
ということで、飛行機での車椅子の利用に関する現状から考えていく。
車椅子ユーザーへの対応の違い
現状として、航空会社各社*2で共通することは、以下の通りである。
- 車椅子利用者の移動は手伝うが、身の回りの世話は承っていない。
- 必要な介助者が不在の場合や、本人の意思の確認が難しい場合は搭乗することはできない。
- 車椅子は預け荷物の制限量に含まない。
一方で、LCCと伝統的航空会社で対応が分かれることもある。
LCCの多くは、車椅子の利用を事前申告制にしていて、予約時に申告するか、期限がある場合は2-5日前を期限にしている。
特に電動車椅子については審査が必要なようで(危険物扱い)、コスト削減を売りにしているにもかかわらずサイト上の説明はかなり詳しかった。
もちろん、伝統的航空会社も車椅子の利用を事前に尋ねているようだが、LCCのように申告がなかったからと言って断るような文言は書かれていない。
(もちろん、直前に言われると困るのだろうが。)
それから、伝統的な航空会社と違い、障害者と介助者への割引はなく、正規の運賃を支払う必要がある。
LCCは手厚いサービスの提供を前提としていないので、旅客に対して配慮が必要な事項を申告し、コスト削減に協力する義務を課しているのだろう。
最低限とは
LCCは「最低限」のサービスを提供する航空会社群として知られている。
しかし、「最低限」の定義が曖昧であり、LCCは「最低限」のサービスしか提供していないので障害者の利用を想定していないだとか、障害者への対応策は「最低限」備えておくべきだとかで意見が割れている。
そこで、航空会社が提供すべきサービスの最低基準を考えたい。
質素と贅沢
LCCと伝統的な航空会社を対比する言葉があるとすれば、質素と贅沢であろう。
質素と贅沢の対比として有名なものといえば、利休と秀吉の茶室である。
利休は最低限の茶室を無駄なくシンプルにデザインし、秀吉は黄金の豪勢な茶室を作ったと言われている。
ここで気をつけたいのは、最低限という言葉の表すものである。
最低限の茶室というのは「茶を楽しむための最低限」という意味であって、決して「最低限、茶を提供できる」という意味ではない。
そうでなければ、囲炉裏の周りに座布団が敷いてあって最低限雨風が凌げる程度の、クオリティの低いものになってしまう。
この対比に当てはめれば、従来の大手航空会社は贅沢なサービスを、LCCは「最低限快適に空の旅をする」ためのサービスを提供できる航空会社でなければならない。
誰の最低限か
最低限のサービスを考えるとき、誰の最低限であるかという視点は忘れてはならない。
例えば、「最低限、空の旅を提供できる」というのは、かろうじて空の旅の体をなしていれば達成できる。
いわば、航空会社が最低限、航空会社であるための基準だ。
空の旅を提供していれば、どんなに操縦がガタガタでも、エアコンから水が漏れていても空を飛んでいれば問題ない。
だが、空の旅を提供できないなら、航空会社の体をなしていないので、最低限とはいえない。
一方で、「最低限快適に空の旅をする」というのは、消費者側の感覚に関係する。
換言すれば、贅沢な機内サービスはなくてよいので、最低限、安全で快適に旅をしたいという消費者の要求である。
もちろん、大手航空会社のエコノミークラスでも足を伸ばせないなど快適でない点があるが、足を伸ばすことは短い空の旅をする上で必ずしも求められることではない。
したがって、最低限として要求するのは適当ではない。
(それこそ、お金を払って高い便に乗るべきだ。)
車椅子は最低限か
でも、「車椅子の人が最低限快適に空の旅をする」ということになると、意見が分かれてくる。
なぜなら、車椅子の人を受け入れる際にコストが発生してしまうからだ。
LCCは格安航空会社と訳されることが多いが、元々はLow-cost Career(低費用の運送会社)である。
そのため、余計な費用が発生してしまうことは、企業にとって存在意義を揺るがす大きな損になる。
これは、LCCが「最低限、空の旅を提供できる」会社だった場合の話だ。
でも、LCCは「最低限快適に空の旅をする」ための会社なので、消費者である車椅子の人を排除するのは適当ではない。
障害者は場違いか
「LCCが想定しているのは『最低限』のサービスで構わない健常者であって、障害者が乗るのは場違いだ」という反論があるかもしれない。
だが、ここでいう「最低限」は航空会社が航空会社であるための(利益を守るための)最低限ではなく、消費者が安全で快適な旅をするための最低限である。
航空会社の利潤を最大化するために旅客の安全や快適を犠牲にしてしまっては、地中海の移民船と同じようなものだ。
それに、余計なコストがかかるから障害者を排除するというのは、様々な立場に置かれている客の視点に立っておらず、不当である。
極端な話、特別なライフジャケットが必要な子どももコストだし、日本語がわからない外国人もコストと言える。
だが、彼らは別に贅沢な配慮を求めているわけではない。
おもちゃのプレゼントも、外国語字幕のついた映画も、「最低限快適に空の旅をする」上で必要ではないはずだ。
むしろ、求められているのは、すべての人が航空機による安全で快適な移動という最低限のサービスを受けられる環境である。
したがって、「車椅子の人が最低限快適に空の旅をする」という願いも、軽視されてはならない。
コストアップへの不安
おそらくLCCを擁護したい人の最大の危惧は、おそらく車椅子ユーザーを受け入れることで航空機の運航が遅れたり、余計なコストがかかることで料金が上がったりするのではないかということであろう。
そもそも、十分な設備がある空港であれば、車椅子を使う旅客の補助に何十分もかかることはないだろう。
日本で自宅暮らしをしている肢体が不自由な人は、181万人いると言われており*3、単純に考えれば、乗客が100人いればそのうち1人は肢体不自由者である可能性が高い。
なので、飛行機の中に車椅子や杖を使う人が乗っていると考えるのが自然だ。
つまり、車椅子ユーザーを含む足が不自由な人のための支出は、自然かつ当然に必要なコストである。
こうしたコストはきちんとした航空会社であれば、すでに一般の人の運賃に組み込まれているはずだ。
そして、それを削ってしまうと、当然足が不自由な人にしわ寄せがいくし、ろくなことにならない。
例えば、我々は必要なコストを支払わずにサービスを続けていた格安牛丼会社が、サービスを縮小したり、一部商品の価格を上方修正したりした例を知っている。
これらの会社が格安を保っていたのは不正義によるものであり、価格を上げたり、24時間営業を取りやめることで不正義を是正しようとしていた。
このように、必要なコストが支払われていなかったことを正すための価格改定は仕方のないことである。
集団の和が乱れる?
「障害者のせいでLCC利用者の集団の和が乱れる」的な論を目にするが、それは納得できない。
この場合、「集団」の構成員の多くとして想定されているのは配慮の必要のない健常者の大人であり、「障害者のせいで健常者が迷惑を被る(不快感を覚える)」と言っているに過ぎない。
他人のせいで迷惑を被りたくないなら、専用機でもチャーターして1人で贅沢な旅をすればよいのではないだろうか?
それから、障害者側からも今回行動を起こした当事者への批判が集まっており、また、障害者がLCCに乗ること自体を否定する声もあるようだ。
彼らが唱えているのは、障害者は配慮を求めずに生きるべきで、自分からサービスを獲得しにいかなければならないという自己責任論である。
しかし、紋切り型の言葉になってしまうが、他人に迷惑をかけずに生きていける人などいない。
健常者も遅刻したり、失敗したりして他人に迷惑をかけることがある。
誰にも迷惑をかけないことを正当とするのには限界があるはずだ。
旅客機に搭乗できるという「最低限」までを自己責任で済ませるべきではない。
一方で、障害者の中にも、グランドスタッフや客室乗務員などの過剰な接待を好まない人はいるだろう。
もちろん、車椅子を預けるためのやりとりなど、障害がある以上やらなければならない手続きもある。
だが、搭乗手続きや機内サービスなどであまり丁重に扱われると、かえって差別されている感があるはずだ(+周りの人の目が怖い)。
そうしたデリケートすぎる対応を避けたい人のためにも、障害者がLCCに乗ることは選択肢として認められるべきである。
(繰り返すが、食事やトイレの介助はもともと伝統的な航空会社でも実施していない。また、LCCも障害がある人のために最低限の対応はしている。)
コストカットにも限度あり
ここまで見てきたように、LCCは空の旅が最低限快適になるよう、努めなければならない。
ただ、これはすべての格安サービスに言えることだが、サービスの簡素化には限度がある。
コストがかかるものを削るよりも、客にとって必ずしも要らないものから削っていくべきだ。
「1000円カット」であれば、シャンプーは必要ないし、格安牛丼店であれば、ウエイターのおもてなしは必要ない。
一方で、客の希望を聞かずに無差別に髪を切るとか、コスト削減のために食材や従業員の手の消毒を省略するなどになると、問題になってしまう。
客のことを考えずにサービスを簡略化していくのはコンプライアンス違反になりかねないので、企業はサービスのコストカットには慎重であるべきだ。