困る外国人観光客、困る運転手
現在、石川県金沢市に短期滞在している。今日、駅と滞在先とを結ぶバスの中でちょっとした事件が起きた。
外国人観光客らしき家族連れがどうやら乗るバスを間違えたらしいのだ。
運転手は必死に応対するが、出てくる言葉はほぼ全部日本語。降りてもらうことになったが、料金の200円が英語で言えない。
私はこの運転手個人を攻撃したいわけではない。
これが全国の観光地で起こっていることぐらい、誰でもわかる。
かくいう私も観光客が何を喋っているか聞き取れず、助け舟を出せなかった。
だが、全国のバス運転手は、せめて金額ぐらいは英語で言えるようにしてほしいところだ*1。
外国語に対応できない路線バス
基本的英語の未習得
バス運転手に限らず、外国人の利用を想定していながら、実際には(最低限の外国語である)英語で応対できない環境は日本中にある。
相手がネイティブの英語話者であっても、相手は通じないとわかっていてゆっくり話すと思う。
そうした相手と値段(例:200 yen.)や行き先(例:For Kenrokuen Garden.)に関して意思疎通できるぐらいの英語力がほしい。
別に、今すぐペラペラになれとは言っていない。
もちろん、3年後の東京五輪ではたくさんの外国人がやってくるわけであり、その頃までにはきちんとした会話ができる人材が増えてほしいといったところだ。
圧倒的外国語の情報不足
路線バスにおいて、外国語の情報は少ない。
鉄道においては、英語のアナウンスで日本語と同等の内容が放送される。
電光掲示板や車内ディスプレイにも、日本語と同じ内容が英語で書かれている。
同様に、空港や飛行機においては、英語に加えて中国語や韓国語のアナウンスが流れる。
一方、路線バスでは、バス停名がローマ字読みされるだけだ。
せっかく日本語で「◯◯はこちらでお降りください」「◯◯へお越しの方は(ここではなく)××でお降りください」と言っていても、それに対する英訳は流れてこない。
日本人観光客でも間違えるのに、どうして外国人観光客が間違えないことがあるだろうか?
運賃は路線や降車駅を間違えた観光客の負担だったとしても、「日本のバスは不親切だ」という評判で外国人の利用客を失うのは、バス会社の方である。
話せなくても
パンフレット
百歩譲って英語が話せなくても、代替の手段で意思疎通を図るべきだ。
たとえ英語で観光客への応対が行えなくても、指差しなどで伝えることはできる。
例えば、金沢の場合は、観光客を想定したバス路線がいくつかある。
観光客は一般の路線と区別できずに、誤って観光向けではない路線に乗ってしまうのだろう。
では、間違えたのは観光客の自己責任で、普通の路線バスは英語に対応しなくてもよいのか?
いや、何らかの方法で英語に対応すべきだ。英語が話せなくても、主要言語の話者向けのパンフレットなどを用意すればよい。
そうすれば、話せなくても、そのバスが観光客の目的地に行かないことが説明できるし、大人が2人と子供が2人で600円なのだとわかる。
訳された英語表記
路線バスに関する懸念のひとつが、訳されていないバス停の名前だ。
丁目(Cho-me)は日本独自の文化なので仕方ないとして、「二中前」をNichu-maeと表記しているバス停もある(金沢ではない)。
本来英語表記が可能なものに対して、ローマ字表記が使われている現状があるのだ。
金沢の路線バスの場合は、「◯◯前」や「◯◯入り口」という表記をなくして降車ミスを予防しているようだが、同じバス停が2つあるように見えて逆に混乱する*2。
いっそ英語でも通用するような名前に変えるのもよいと思う。
観光案内所の周知
せっかく観光案内所を作って外国語の話せるスタッフを置いても、そこに辿り着けなければ意味がない。
駅や空港にわかりやすい案内を作るなど、それを求める観光客が確実に観光案内所に辿り着けるようにする工夫が求められる。
もちろん、人が案内するという方法もあるが、現地で暮らす一般の人は観光案内所の存在を知らない。
観光案内所の場所と外国語が喋れるスタッフを配置している旨、ローカルニュースや地方新聞で周知する必要がある。
外国人目線での観光産業を
日本の路線バスの外国人への対応力はまだまだ低い。
外国人観光客は場所を用意すれば勝手に観光してくれるわけではないということを理解してほしい。
まだまだ外国人が助けなしで観光できる場所は限られているのだ。
今回バスに乗ったのは平日だったが、土日になったら体制が変わっているのかもしれない。
だが、テレビの報道にもある通り、今日はアメリカ独立記念日(アメリカ時間の7月4日)だった。
なので、外国人の観光客が来ることは十分想定できた。
観光に関わる業界には、外国の休日にも目を向けてほしい。
そして、外国人の視点に立ってほしい。
そうすれば、外国人が少しでも気持ちよく観光できるような環境になるだろう。