相手を想うという言い訳
相模原障害者施設殺傷事件から1年が経ち、思うことがある。
世の中には、自分より弱き者の幸福を勝手に願って、かえって相手を不幸にしていることが稀にあるのではないか、と。
相手のためにならない「善行」
人間には、自分に跳ね返ってくることを願って「善行」をすることがある。
その「善行」はときに、社会的な規範によって行われており、その規範が本人に合わなかったり、時代遅れだったりする。
「善行」をした本人はよいことをしたと思っているのだが、受け手は不幸になっている場合も少なくない。
善意に見せかけた排除
あるいは、悪意を隠すために、相手に利益をもたらしているように見せかけるということもあるかもしれない。
同じ属性同士の方が楽だろうと言って嫌な奴を隔離したり、「あなたのためを思っている」と言って相手に消えてもらったりする。
そうすれば、表向きには差別やハラスメントには見えない。
このように、高貴を装って相手のためにならない「善行」をする行為が世の中には少なからず存在している。
この記事では、その一部を紹介したい。
相模原障害者施設殺傷事件
相模原の障害者福祉施設で起きた殺人事件は世界に衝撃を与えた。
犯人は「意思疎通のはかれない重度障害者は不幸をばらまく存在なので安楽死させるべき」という極端な考えを持っており、精神鑑定をしても責任能力の欠如は見られなかった。
犯人は事件の起きた施設の元職員であり、入居者との交流の中で挫折し、絶望したのだと思う。
だが、一方的に不幸をばらまくと認定し、殺害したことには納得できない。
犯人がどれだけの障害者の家族やヘルパーと意思疎通をとったのかわからないが、自分以外の介護者は明確に不幸だったのだろうか?
「幸福」のため
犯人は障害者を取り巻く人々の幸福を大義名分に、多くの人の命を奪った。
たしかに、彼は挫折感を覚えていたかもしれない。
しかし、実際には多くの障害者が様々な方法で自分を表現し、多くの家族が障害者との生活の中で幸せを感じている。
そんな中で、彼は勝手に介護者、ひいては健常者・定型発達者を代表して、あのような犯行を実行した。
「介護者のためを想って」というのは、一方的で独りよがりな言い訳である。
もちろん、世の中には本当に意思疎通をはかることが困難で、その家族が不幸になっているケースもあるのだろう。
でも、幸せかもしれない人を勝手に不幸だと決めつけ、手にかける行為は許されることではない。
「昭和の価値観押し付け型」マタハラ
マタニティ・ハラスメント(マタハラ)に関する話題を耳にすることが多くなった。
中でも厄介なのが、妊婦や胎児のことを想っているタイプのマタハラだ。
例えば、「お腹の赤ちゃんのためにも、仕事を辞めて安静にすべきだ」とか「子どものために育児に専念しなさい」というものがこれにあたる。
参考:
「上に立つ者」の驕り
上司は本当に妊婦や胎児の健康を願っているのだろうか?
規範を押し付けたり、面倒を避けるために言い訳をしたりしているだけのようにも思える。
女性(妊婦)のためを想っているというのは「上に立つ者」の驕りであり、実際は男性(または妊娠せずに働く女性)こそが強くて偉いと思っている。
本当に対等な働く仲間だと思っているのであれば、退職推奨という形で関係を切らずに、妊婦を支援しているはずだ。
不可能になりつつある専業主婦思想
そもそも、共働きが多い現代において、妻の収入が絶たれるというのは死活問題であり、むしろ子どものためになっていない。
それこそ、お金さえあれば、(待機児童という限界こそあるが)保育園に子どもを預けられるし、もしかしたら(夢のまた夢だが)お手伝いさんを雇えるかもしれない。
本当に胎児や妊婦のことを想っているのであれば、雇用を継続して少しでもよい生活をさせてほしい。
LGBT向けトイレ
LGBTトイレというものは一見LGBTのためになっているが、ためになっていないものの典型例だ。
これは、LGBTの人が安心して使える専用トイレを作るという試みである。実際に作られたケースはまだないようだが、構想の段階で取りやめるべきだ。
参考:
たしかに、T(トランスジェンダー)の人が自認する性のトイレも生まれつきの性のトイレも使用できないというとき、多目的トイレを使用するという話はよく聞く。
一方、LGBにとっては、トイレ内での偏見や迫害を避けるという少々違ったニーズがある。
LGBTトイレは、そんな人たちにとって、さも安心して利用できる設備かのように吹聴されている。
ニーズとのズレ
だが、実際はLGBTの人の多くが利用したがらないだろう。
LGBTトイレを利用すること自体が、LGBTであることの宣伝になってしまうからだ。
LGBTの多くは、LGBTであることを隠したいわけであって、LGBTのための特別なトイレを求めているわけではない。
考案した当人はLGBTのためを想ったのだろうが、配慮の仕方が完全に的外れになっている。
税金の無駄になるので、早めにこの考え方をやめるべきだ。
実際には、トイレのジェンダーレス化や多目的トイレの設置・増設が求められているはずである。
タテの関係からヨコの関係へ
このように、世の中には独りよがりで相手のためになっていない善意が至る所にある。
そのようにならないために大切なのは、「上に立つ」のではなく、「横に並ぶ」ことだ。
例えば、現在、発達障害のない人を「健常者」ではなく「定型発達者」と呼ぶことが多くなっている。
これは、従来の健常者と発達障害者のタテの関係を、発達という現象に様々な分類があるというヨコの関係に変えたものである。
LGBTに関しても、シスジェンダーとトランスジェンダー、ヘテロセクシャルとホモセクシャル・バイセクシャル・アセクシャル…etc などの区別を取り払い、性的指向(Sexual Orientation)と性自認(Gender Identity)で全ての人を分類するSOGIという考え方が広まりつつある。
我々は、大多数と違う人を知らないうちに下に見ている、という状況を脱しなければならない。