我々は動物のことをこれっぽっちも知らない
善意が動物を傷つける
Twitter上で、野生の子猫が親猫から育児放棄されるという話が話題になっていた。
親猫は人間を恐れ、子猫を置いて逃げてしまうのだという。
毎日新聞で紹介されていた事例でも、人間が善意で野良猫を世話した結果、親猫が離れてしまった。
これは無知な人間のおせっかいが招いた結果である。
参考:
助ける方法を知らないのに
かわいいからといって、野生動物の子どもに手を出してはいけない。
専門家ではない人間による無責任な手助け・レスキューは、望んでいたこととは逆の結果になってしまう。
アメリカでも、良かれと思って人間が連れて帰ったアザラシの赤ちゃんが、死亡している。
育児放棄されていると、人間が思い込んだことが原因だそうだ。
普通の人間はアザラシの育て方を知らないわけで、死んでしまったのは当然の結果である。
動物の習性をよく知らない人が動物に触れば、その動物の生死を左右しかねない。
その行動が原因で命が失われたとすれば、それは善意と言えるのだろうか?
人間の親子は安全
子どもを誘拐された人間が子どもの無事を願うのは、人間の生活が安全だからである。
そうでなければ、北朝鮮の拉致被害者の家族は何十年も家族の帰りを待っていない。
もし、治安がとても悪かったり、平均寿命が短かったりしたら、「親人間」は「子人間」を見捨て、自分の命を守っていただろう。
いずれにしても、自然界と人間界では事情は大きく異なる。人間の価値観で動物を保護するのは、愚かなことである。
人間社会に動物が入り込む危険
逆に、人間社会に野生動物が紛れ込んだら、どうなるだろうか?
動物のルールで狩りや排泄(はいせつ)を行われたら、ひとたまりもない。だから、人間の生活や命を脅かす野生動物は、何らかの方法で排除する必要がある。
クマの被害
例えば、昨年、野生のクマによって人間が被害を受けたケースは全国で101件あり、4人が命を落としている*1。
ご存じの通り、野生のクマは本来の生息地の野山にいることもあれば、人里に降りてくることもある*2。
エサ探しの過程で襲われないように、クマを避け、自分の身を守る努力*3を人間がしなければならない。
参考
豊かな森の生活者 クマと共存するために(平成28年)(リンク先PDFファイル)
野良猫の被害
野良猫の被害も同様だ。汚物の被害を避けるためには、猫の習性を熟知し、利用することが求められる。
TNR活動(捕獲・不妊去勢手術・返還)などによって根本的な解決を図らなければ、野良猫は増える一方だ。
クマにしても、ネコにしても、思うようにやられてしまうと、人間はたまったものではない。
そうした動物は、猟友会などの善意の市民、あるいは動物を虐待する悪意ある市民の手によって、命を奪われてしまう。
そのような残酷なやり方に頼らないで、被害を未然に防止することで、人間も動物も幸せになれるとは考えられないだろうか?
動物を理解する
このように、動物の習性を理解すれば、動物だけでなく、人間の命も守ることができる。
冒頭に挙げたような、無知な人間の善意が野良猫を不幸にしてしまうケースも、防ぐことが可能だ。
一方で、動物の行動は、全体的な習性だけでなく、個々の性格にも影響を受ける。(人間にもインドア派とアウトドア派がいるように。)
そのため、種名だけではその個体がどのような動物なのかわからない。
参考
これはペットでも同じことである。
飼う前に相手を理解すれば、かわいくないから捨てるというような飼い主の自分勝手な遺棄を防げるのではないだろうか?
例えば、アニメやドキュメンタリーを観て、この動物がかわいいと思っても安易に飼ってはいけない。
あらいぐまラスカルの悲劇を繰り返すだけだ。