カリスマが主力のチームは不安定だ
1人の天才に全てを委ねる。一見すると、それは成功への近道だと思われる。
無能な凡才はいつも失敗し、組織に迷惑をかけるからだ。
でも、天才にも限界はあるのではないだろうか?
その天才が急にいなくなったら、組織はどうなるのか?
実は、天才に頼った組織運営は持続可能性が極めて低い。
1人の才能に頼りきった組織運営をやめなければ、われわれに未来はないだろう。
天才のやり方から脱する
天才は代わりがきかない
社長・会長が看板を務める企業は、その人がいなくなればたちまち力を失う。
それを防ぐために、天才の神業を凡才にも使える形に加工しなければならない。
それに苦労した企業のひとつが通販大手の「ジャパネットたかた」だ。
ジャパネットたかたは、創業者の高田明氏のカリスマ的な司会で一躍有名になった。
しかし、商品の選定から売り込みまでを一手に担う明氏がいなくなったとき、会社は崖っぷちに立たされる。
凡才の結束
その危機を乗り越えるために、息子で現社長の高田旭人氏がとった行動が、凡才のエキスパートの力を結束させることである。
明氏はカリスマのカンで売れる商品を引き当てていたのだが、旭人氏にはそのような才覚はない。
だから、特定の商品のエキスパートを用意し、商品を仕入れさせた。
先代は天才なので、テレビ通販だけ頑張ればよかった。
だが、現社長はそれを見直して、カタログや体験施設など、広い分野の分析と改善を行なっているようだ。
前社長のやり方のままでは、ジャパネットたかたという企業ではなく、高田明という個人(あと、強いていうならテーマソング)にしか注目が集まらなかった。
凡才が結束することで、ジャパネットはより安定した企業になったのではないだろうか?
凡才が集まればそこそこ強くなる
凡才が集まって成功した事例といえば、陸上の男子リレーが第一に思い浮かぶ。
日本には、ジャマイカのウサイン・ボルト選手のようなカリスマ選手がいない。
にもかかわらず、リレーにおいては世界大会でメダルを取れる。
その秘密は、報道によれば、バトンパスでの時間短縮にあるらしい*1。
それを別の言葉で表すとすれば、「工夫」だ。
パスの技術さえ覚えさせれば、万が一メダルを取ったメンバーから1人が抜けても、別の選手で代用できる。
それは、カリスマ選手に頼るチームにはできないやり方である。
才能にあふれているわけではないチームであっても、指導者やブレインの工夫によって、それなりの優れた才能を持ったチームを下すことができるのだ。
カリスマにも限界がある
どんなに広い分野の才能を持ったカリスマでも、全ての仕事ができるわけではない。
幅広い知識を駆使して小さなチームを仕切る人が、昇格して大きなチームを任されたときに、その問題は顕在化する。
どんなに才能に恵まれている人でも、大きな舞台でなんでも屋として生きていくのは難しいはずだ。
全てを知ることはできない
ヤフーの宮坂学・前社長も、少人数のチームを率いていた際、幅広い知識を生かして、部下を引っ張っていたそうだ。
しかし、昇格によって部下の人数や扱う分野が増えると、そうはいかなくなる。
自分の知らないことが増え、自分の考えだけでは周りをうごかせなくなったのだ。
天才が技術・知識と知恵で周りを導くのには、限界がある。
専門家を育て、あるいは集めて、オルガナイズすることによって、初めてよいチームが出来上がるのであろう。
仕事を共有するのは重要だ
日本の多くのチームにおいては、1人が抜ければ組織が成り立たない。会議好きの民族と言われる日本人なのにだ。
その理由はいたってシンプル。1人が業務を分担しっぱなしで、担当者以外にできる人がいない。
あるいは、代わりが必要な状況を想定していない。
担当者がいないのでわからない
例えば、私は大学時代に、何度か同じ苦い経験をしている。
それは、グループ発表のメンバーが病欠し、発表が行えなかったという経験である。
原稿も知識もチームで共有しておらず、個人だけがわかっていればよいと思っていたから、そうなったのだ。
成功したプレゼンテーションでは、みんなで全体の構成について意見を出し合った。
失敗したプレゼンテーションでは、1つのパートを個人に任せっきりにし、他の人のパートは何もわからなかった。
言語化できないノウハウにしても、特定の1人に任せっきりの仕事にしても、みんなが共有できるように変えていく必要があるのではないだろうか?