気持ちのサンドバッグ

気になったことを調べて、まとめたり意見を書いたりします。あくまで個人によるエッセイなので、事実関係の確認はご自身でお願いします。

「◯◯ってダサいよね」 他人の好き嫌いに流されてたまるか

人の好みは十人十色であり、商品がダサいというのは一部の意見にすぎない。

Photo via pixabay

 

他人からの評価 VS 自分の価値観

カバンが壊れたので、新しく買おうと思う。

 

しかし、ネットを見ると、

  • 「◯◯バッグってダサいよね」
  • 「××バッグを使う男は女々しい」

などと言う評判が書き込まれている。

 

これは買い物をしたいユーザーにとって、迷惑な書き込みだと感じる。

 

 

 

 

買い物を妨げる他人の意見 

シェアされた意見が絶対正義

ネット社会では、シェアされることが何よりも大事である。

そのため、どんなに不寛容な意見であっても、唱える人が増えるたびに正当性が増していく。

 

例えば、「彼氏がマジックテープの財布を使っていたら恥ずかしい」という意見がある。

それに賛同する書き込みが増えると、意見が既成事実になる。

そう思っていない人が声をあげづらくなる。

 

彼氏がマジックテープ式の財布を使っているのが嫌なのであれば、別れればよい。

でも、マジックテープ式の財布をよいと思っている人にまで、それを押し付けるべきではない。

 

マジックテープの財布がダサいという人は、実際には全人口の一部だけかもしれない。

Photo by rawpixel on Unsplash

 

個人の意見 世論とみなすな

ファッションの良し悪しについて書き込んでいるのは、あくまで個人だ。

意見を見た人、それをシェアした人は他人の意見に流されているにすぎない。

言い換えれば、ネット上で発信された「ダサい」は専門家でもない個人が印象操作しているだけなのだ。

 

もしかしたら、実際に同じ意見を持っているのは地球全体の10%以下かもしれない。

一部の人にダサいと言われるのを避けるために、好きなものを諦めるのか?

誰かに嫌われてでも、自分の好きなものを身につけたほうがよいのではないか?

 

世間体を保つために嫌いなものを身につけるよりも、一部の声を気にせずに、自分の好きなものを身につけるべきだ。

 

他人のファッションに口出しするな

 そもそも、他人の身につけているもので、自分が得・損するのか?

 

世の中には共同体という意識が強すぎる人がいる。

  • 生徒がだらしない格好をしていると、学校の看板に傷がつくという先生
  • 社会人であれば高級腕時計を持つべきだというおっさん
  • NGファッションを提唱する一部のメディア

 

強いていうなら、彼らは他人が自分の思い通りになることで得するのだろう。

そういう人たちに気に入られたいのであれば、忖度してそういうものを身につければよい。

 

他人のファッションに口を挟んでくる人は、他人を支配したいだけだ。

Photo via PEXELS

 

だが、従いたくない人にとっては、迷惑・おせっかいでしかない。

そんなに他人に服を着せたいのであれば、着せ替えゲームでもやっていてくれ。

 

ネットの情報の正当性は、書き込みが共有された数に比例する。

でも、みんなが本当に同じことを思っているとは限らない。

他人のファッションに口出しする人は、他人を思い通りにしたいだけ。耳を貸さないほうがよい。

 

買い物に必要なレビュー・批判

一方で、私が通販サイトを見ていて助かったのが、商品の仕様を批判するレビューがあったことだ。

 

例えば、スマホ用のポケットにiPhoneが入らないという大事なことを教えてくれる。

大容量だけれど、ものをたくさん入れると見栄えが悪いなどの意見も書いてあった。

 

そういう評価を見れば、より性能のよいものを買える。

商品の仕様に関するレビューは、買い物をする前に目を通すべきである。

 

商品選びのサポートがほしい

私たちは、他人の機嫌をとるために買い物をしているのではない。

自分の価値観に合う商品がほしいのだ。

 

だから、商品選びの役に立つ情報を探す。

それは性能の良し悪しであって、他人がその商品をどう思っているかではない。

 

商品の性能に関係ないレビューやネット上の書き込みは無視すべきである。

 

大切なのは、商品の仕様や性能。

それに関するレビューは目を通すべきだ。