面白いと思って出したのに批判されるワケ
出版社がイラストレーターに描かせた性的に不適切な女子トイレの標識が現在絶賛炎上中だ。
記事の中では、面白い絵が描けて、部署内で絶賛されている旨のことが記されており、部署に女性が常勤していないことを「オチ」にしている。
あたかも面白いことのように書かれているが、女性が下着を下ろす姿を女子トイレの標識にすることについて、女性をはじめとする多くのネットユーザーから批判が集まっている。
現在は公開を中止したようだが、なおも延焼中だ。
例えば、もしこれが、漫画を扱う出版社が漫画を使って女性のイメージを改善するという内容であったら、評価されただろう。
あるいは、人気キャラクターをトイレの標識にしたら面白いという反応がもらえたかもしれない。
だが、残念ながら彼らが出版したのは、セクハラ標識とそれを賞賛する漫画だった。
この背景には、面白いと思ったことであればなんでも実行する、という学生のノリがあると考えられる。
たしかに、硬直した日本社会においては柔軟な発想が求められている。
だが、柔軟な発想と配慮に欠けた表現は別のものだ。
外向きの仕事においては、社会通念と照らし合わせることが重要なのだ。
以下に今回の事件の問題点を列挙するが、この記事の焦点はこの事件への批判ではない。
今回の問題が特殊な事例ではなく、本当は最近、あるいはずっと前から起こっていることなのだということを認識してほしい。
以前あった事例を挙げながら、閉鎖的コミュニティで作られたものを公開して炎上した例について考えていきたい。
主な問題点
- トイレの標識を面白くしようという企画だったはずが、女子トイレの標識だけしかデザインしていない。
- 男女両方を性的に表現したならまだ許されたかもしれないが、女性だけを性的に表現している。
- 部署内に女性がいないことを詭弁にしているが、そもそも性的な掲示物を掲出すること自体がセクハラであり、さらにセクハラは対男性および同性間でも成立する*1。海外には性器を象った標識が存在するという意見もあるが、猥褻物陳列罪や男女雇用機会均等法のセクハラ防止規定がある日本ではアウトまたはグレーゾーン。
- 女子トイレを利用する女性の同意が得られないまま、部外者の男性だけで決めている。そのトイレを魅力的だと、あたかもよりよいトイレのあり方を啓蒙したかのような態度で表現している。
- これを大人のお店で話す分には問題なかったかもしれないが、それを誰もが見られるネットメディアに公開した。つまり、出版社はこう思っていますという意見表明になってしまった。
- 記事には、トイレの標識を実際に貼り替えた実写の写真が掲載されていた。この時点で、井戸端会議や机上の空論ではなくなっている。つまり、一般的な漫画やフィクション小説と違い、発想を現実に持ち込もうとしている*2。これは非実在青少年の話とも重なってくるが、出版社は現実でやってはいけない性格のものを現実でやってしまった。これは非実在トイレではなく、実在トイレなのだ。
必要のないハラスメント
私はこれをこの出版社だけの問題にしたいわけではない。
これまでも、そのようなセクハラや女性差別に当たる表現がメディアで問題になってきた。
例えば、ある漢字問題集(別の出版社)は女性の肢体になぞらえた例文などを使用したために、発売中止となった。
百歩譲って女性にしかない体の部位を漢字で書きとらせる(読ませる)問題であれば、そういう文は使用できただろう。
しかし、通常であれば、そうした文を使用する必要はない。
「学生にウケるから」という理由で使用したのだとすれば*3、学生が好きなものを調査した上で好きなものを反映すべきだし、必ずしも性的な内容でなくてよかった。
他にも女性を蔑視するような例文(男性への従属を促すような内容)があり、男子学生にすらウケるかどうかわからない内容になっている。
このように、必要のないセクハラをすることで炎上する、あるいは商品の販売等を休止する企業は最初に挙げた出版社だけではない。
独善的な啓蒙(という名のハラスメント)
女性のためを謳う広告
女性のためになる情報を流したつもりになっているが、実際には女性を蔑視しているようにしか見えないというケースもある。
例えば、ある女性向けのファッションビルを展開する不動産デベロッパーは、とんでもないCMを出した*4*5。
主人公は身だしなみに必要以上の気を配らない女性社員である。
その女性に対し上司と思われる男性が、同じ職場の美人女性社員とその女性社員とでは求められる役割が違うという趣旨の発言をする。
それを聞いた女性社員は、その美人女性社員のようになるためにイメージチェンジを決意する、という内容だ。
企業の意図するものはおそらく、働く女性にもおしゃれをしてほしい(=ファッションアイテムを買ってほしい)というメッセージであったのだろう。
だが、実際の働く女性は、「所詮、女性は職場の華でしかない」というメッセージを受信してしまったに違いない。
もちろん、CMを作ったのは映像制作会社なのだが、CMを出した不動産会社にとってはとんでもないイメージダウンとなった。
抑圧的な上から目線
たしかに、大の大人が学生のノリでコンプライアンスに反しかねない映像を作ってしまったことも問題だが、それ以上に問題なのは企業の上から目線だ。
別に、女性が日常の中で自主的に自分のあり方を見つめ直し、美しくなりたいと思ったなら問題はなかっただろう。
しかし、上司の男性が女性に対して美人になるよう説くという構図にしてしまったため、「皆さんも美人になりましょう」ではなく「お前は美人になれ」という内容になってしまった。
性的に偏ってはいけないので、主人公を男性に変えてみよう。
女性上司が男性社員に向かって「あなた、ヒョロヒョロのガリガリね。あのイケメンマッチョ社員君とは大違いだわ」と言ってきて、男性社員は「俺も鍛えなきゃ」と決意する。
いやいや、お前は働くために会社に来てるんじゃないのか?
マッチョになったところでデスクワークの効率は変わらないぞ。
これは性別をひっくり返しても同じだ。
ここまで見てきて分かる通り、ストーリーの構造自体が結論ありきの独りよがりなものになっている。
極端な話、結論のために登場人物が動いている。
まるで、赤ずきんちゃんがオオカミに「私を食べて。猟師さんが助けに来てくれるから」と言って、悲鳴をあげずに食べられるようなものだ。
実際問題、業務に差し障りのない限り、容貌についてとやかく言われる筋合いはないだろう*6。
社員は会社の犬ではないのだから。
いずれにしても、どう見てもハラスメントなのに、良いことをしてあげた(教えてあげた)気になっている例は少なからずあるようだ。
外部の視点が大切
こうした差別的・侮辱的表現は必ずしも男性がいるから作られるものではない。
例えば、私の大学時代、国際関係学の授業のグループ発表で途上国の女性に関する問題について扱っているグループがあった。
そのグループは女性だけで構成されていたのだが、残念ながら男性批判に終始していたように記憶している。
たしかに、発展途上国の女性の中には伝統や慣例の影響で人権侵害を受けている人もおり、問題がないとは言えない。
だが、男性批判になると、もはや問題解決からは程遠くなってしまう。
男女間の争いに終始するからだ。
女性差別は本来もっと根深い問題なのに。
いずれにしても、こうして男性を悪者とする捉え方には問題があった*7。
(※「男性差別」を理由とする女性批判も同様に問題である。)
内側から起こるハラスメント
これは極端な例だが、男性だけで構成されたコミュニティよりも女性だけで構成されたコミュニティの方が信頼できる訳ではないということを示したかった。
もちろん、内部の女性が自ら女性差別や性的バイアスを作り出すということも考えられるので、内部だけの視点では足りない。
嫁姑問題や「伝統的な家庭」における女性の扱いがその代表例だ。
男性が「お前は女なのだから家事をしなさい」と命令するのではなく、実は女性が自ら進んで動いている場合もある*8*9。
同様に、男だから上半身裸にしてもよいという男性上司・男性教師もセクハラの加害者となる。
どちらの場合も、上からもしくは横からの圧力で嫌々やらされるというケースがある。
このように、内側からではどうしようもない問題は山ほどあるわけで、(男女に関係なく)外部の人がいて初めて問題が発覚することもある。
言い換えれば、外部の人の意見があれば、ハラスメントを防ぎ、外部への拡散を防ぐことができる。
あるいは、今回の出版社のように女性がいない部署であっても、外部の人の意見を想定することでハラスメントを防ぐことが可能だ。
性の問題ではない
そもそも、これが必ずしも男女間の対立によって起きる問題ではないことは、各地で起きている事件等からも明らかだろう。
生活保護ジャンパー問題がその一例だ。
この問題は、ある自治体の生活保護を担当する部署が、生活保護受給者を侮辱するような言葉を書いたジャケットなどのグッズを作って、使用していたというものだ。
なるほど、チーム内で同じ服を着れば、団結力も高まる(まさに学園祭のノリだ)。
だが、生活保護受給者を侮辱する表現は必要のないものであり、誠実さの欠如が目に見えて分かる。
前述の職場の女性の例になぞらえれば、「生活保護を脱せるよう努力しよう」ではなく、「生活保護を受けるな」という間違ったメッセージを発していると言えよう。
内輪の集まりに自浄作用はない
外部に指摘されるまで違法性の認識ができなかったのはさらに問題で、内輪の繋がりというものに自浄作用がないことを象徴している。
部署内の力関係のせいで、誰も指摘できなかったのではないだろうか?
弱いものについて考える義務は、強いものにこそあるのだということを痛感させられる。
学生のノリなんてかわいいものだと思う人もいるかもしれないが、現に大学のサークル内での死亡事故等も相次いでいる。
学生のノリはサークル内の支配階級にとっては楽しいかもしれないが、それ以外の人にとっては悪いものとして眼に映ることもある。
いい大人が学生のノリをやることは危険だ。
補遺:「犯人」を限定すること
ところで、今回の問題で該当の出版社が記事を公開停止してから、女性のせいで公開が停止されたという書き込みをよく見る。
これは、問題の主体を限定しすぎている。
現に私は男だ。
同じように最近の社会問題においても、「犯人」の限定しすぎ感が否めない事例はいくつかある。
先の男性保育士問題も「男性は性犯罪をするから問題」というふうに矮小化せずに、「保育士による暴行・虐待事件が発生しており、安心できない」というように問題設定をすべきだった。
あたかも特定の属性が加害性を帯びているかのように解釈すれば、安心はできるが、安全ではない。
例えば、貧困層は盗みをするかもしれないから危険だという考え方があったとしよう。
なるほど、生活が苦しい人が盗みをはたらくこともあるだろう。
でも、実際には、特に貧困とも言えない人が会社の金を横領することがある。
世の中から泥棒をなくすには、貧困層に目を配るだけではダメなのだ。
このような一見して適切に見える仮想敵設定は、問題の解決には繋がらない。
我々が欲しているのは仮初めの安心ではなく、確固たる安全のはずだ。
特定の属性だけが悪という前提で話を進めても、笑顔になれるのは一瞬だけだ。
*1:セクシュアルハラスメント対策に取り組む事業主の方へ |厚生労働省
*2:架空の出版社でそれをやればよかったのだが、実在の出版社で実在の漫画家に依頼していることが記事内に明示されていた。そこに実際の写真が貼られていたのだから、これは現実の話であると捉えざるを得ない。
*3:日本経済新聞の取材では「受験生が覚えやすい例文」を採用したとのこと。引用記事は脚注元の文章の後に記載。
*4:今回は不動産デベロッパーの例を出したが、鉄道会社にも同様の広告がある。電車内のマナー向上を訴える広告は、女性だけにマナー向上を要求しているため、物議を醸した。周りの男性がマナー違反の座り方をしている中で、美しく座る女性を賞賛する、という内容である。電車内で幅を取る座り方がマナー違反とされる中、伝統的なマナーでは女性は脚を閉じて、男性は脚を開いて座るのがよい作法だとされている。そのような背景もあって、電車内で脚を閉じて座るのが、あたかも女性のみの義務であるかのように捉えられる広告を出してしまったのは迂闊だった。電車内で脚を閉じて座るのは、男女関係なく求められることなのだから。
「ヒールが似合う人」は女性蔑視か 東急電鉄のマナー広告に賛否
*5:「女性のためを思った」内容とは異なるが、ある飲料メーカーのカフェオレのCMでは、生徒を家畜牛に見立て、卒業後の配属先を告げるという演出があった。その中で雌牛に見立てられた女子生徒の胸を強調したり、教師役の男性が「良いミルクを出しなさい」というセリフを発したりしたため、問題になった。ただし、雄牛に見立てられた男子生徒が食肉になるよう命じられるシーンもあり、必ずしも女子だけの問題ではない。支配階級が勝手に人間の命のあり方まで決めてしまうと言う残酷さも描写されていて、誰しもが感動できる内容というわけではなかった。
*6:もし、体臭が凄まじくて客先に立てないとか、筋力が不足して荷物が持てないなどがあれば問題だ。
*7:一応断っておくが、国際関係学の授業で女性問題を扱ったに過ぎないので、発表者たちにジェンダー・セクシュアリティ研究の見識があるとは限らない。
*8:ちなみに、厚生労働省は同性間でもセクハラは成立すると考えている。これは、冒頭の出版社のケースでも同じだ。性的な掲示物を掲げること自体もセクハラに当たるため、性的な標識を掲げた主体の性別も実は関係ない。客体(掲げられた標識の性別)もまた然りだ。
セクシュアルハラスメント対策に取り組む事業主の方へ |厚生労働省
*9:ある化粧品メーカーのCMでは、25歳の誕生日を迎えた女性に対して他の女性が、周りの女性はこれからどんどん結婚していく。あなたは美貌を保ち、結婚するために努力しなければならないという旨の発言をするというシーンがあった。いわゆる「余り物」というのは同性間でしか起こり得ない発想ではないだろうか? 男女間でも「結婚をした方が良い」と告げるセクハラは生じ得るが、「お前は余り物だ」と言うことはあまりないと思う。