CMが表現すべきものとは
現在、紙おむつを扱うメーカーのCMが炎上している。
主人公である母親が乳児の子育てに奔走するという内容の作品だが、夫の存在が限定的で、肝心の販促ができておらず、子育てをする母親への応援にもなっていない。
そのため、母親による「ワンオペ育児」を礼賛するものではないかという批判が集まっている。
一方で、社会の現状を的確に指摘しているとか、そうは言っても夫は役に立たないとかいう意見もある。
だが、このCMは消費者が抱える問題を解決するという生活用品本来の機能が広告できていないという致命的な問題を抱えている。
働き方改革が始まっている現代において、非常に残念なCMを作ってしまった、というのが私の正直な感想だ。
とりあえず、何がダメだったのかについて、原因をひとつひとつ考えていきたい。
確認
私は父親の育児参加を求めているのではない。
社会の育児への寛容を求めているのだ。もちろん、父親が育児に取り組むことは大切なのだが、求められる立ち位置は「参加」ではない。
参り加わるのではなく、最初からそこにいて一員であることがベストなのである。
それから、社会が子育てに対して消極的なのも問題だ。
- 保育園の設置に対する近隣住民の反対
- マタニティマークをつけた妊婦への暴行
- その他公共の場所での子ども連れに対する冷たい視線
など、子どもを育てるための環境が整っていないということが定期的に指摘されている。
結果として、その人たちが負担するはずだった荷物が赤ちゃんと一緒に全部母親の肩におぶさっているのが、今の社会だ。
口うるさい大人が「移民排斥」とか言っている間にも、どんどん新生児は減っていくだろう。
子育てと母親の現状
文明が乗り越えてきた性役割
文明は性別役割分業を無に帰した。
今や生物学的な出産以外、女性のみに求められる役割はない。
否、人工子宮の開発が進んでおり、それすらもなくなろうとしている。
重機やパワードスーツを使えば、女性でも重たいものを持ち上げることができるし、粉ミルクを使えば男性でも授乳することができる。
テクノロジーさえあれば、本来その性でしか行えないことは乗り越えられるはずなのだ。
ではなぜ乗り越えられないかと言えば、
- 職場における多様性の重要性に対する認識が進んでいないこと
- 従来通り男性が働いた方が効率が良いと思われていること
などが原因なのだろう。
本当に効率が良いならば、1人が出産・育児休暇を取っても職場は回るはずだし、社会に影響を与える企業であれば、就職活動や人事において女性を冷遇しないはずだ。
個々の企業を責めるつもりはないので、もっと大きな単位で子育てしやすい社会を作って欲しい。その中にテクノロジーによる問題解決があるだけだ。
「子育ては母親の仕事」が生み出した無知
以前から指摘しているが、子育ては母親の仕事、子どもは母親のものという考え方が根強く残っている。
そのせいで、男子の家庭科が必修になった現代でも、子育てのプロセスや子育てそれ自体への理解が進んでいない。
この場合の主語は社会全体である。かろうじて妊娠・出産・子育ての期間に女性が育児について学んでいくぐらいだろう。
この国の乳児の健康について定められた法律の名前は母子健康法であり、親子健康法でも社会-子健康法でもない。
産院の中にはお産の立ち会いのために両親学級への参加が必要というものもあるようで*1、子どもはあくまで母親のものであり、父親には触れさせないのが基本という認識がまだまだ強いようだ。
両親学級に参加しないような意識の低い人ほど妊娠・出産・育児の知識と協力が求められるわけで、順序が逆転しているとしか思えない。
お産に立ち会わなければ、それ以降どんどん子育てに参加しなくなるかもしれない。
むしろ、父親の理解と協力で母親の負担を和らげることこそが母子の健康のために必要なはずである。
母親・父親以外の周辺住民に関しても、知識がないことからペドフォビア(子ども恐怖症)になっているのだろう。
家庭科の授業で得た子育ての知識など、とうに廃れており、意味をなさない。
もちろん、古い世代であれば高校家庭科が男子の必修ではなくて、高度な内容を知らないケースもあるかもしれない。
何も知らないまま無理強いして従わせるのは良くない。丁寧に説明して、子育てに関する理解を求めることがベストだと思われる。
広告の役割
CM本体の問題に移ろう。
今回は表現方法が従来のCMと違いすぎて、メッセージがうまく視聴者に伝わっていないというのが一番の問題である。
どれにも当てはまらない特殊なメッセージが視聴者を混乱させているのだ。
一般的な財・サービスのCM
一般的に、CMの表現方法は以下の4つに当てはまると考えられる。
A.使用感の表現
財・サービスを利用した際に得られる幸福感のイメージや実際に利用している様子を描いて、財・サービスの使用感を表現する。
例:グミ菓子の風味と幸福感を表現するために、少年が開脚してジャンプする。
B.不便の緩和
財・サービスがなかった場合の問題や不便な暮らしを描き、財・サービスによって不便が緩和されることを示す。
例:洗濯物が臭うという不便を防臭効果のある洗剤で緩和する。
C.危機と解決策
隠れた危機とその解決策である財・サービスを紹介する。
例:清潔に見える風呂場にも雑菌が潜んでいるという事実を示し、雑菌の繁殖を防ぐための洗剤を紹介する。
D.名前の強調
奇抜で印象的な演出で財・サービス名や企業名を強調する。
例:誰もが知る楽曲の替え歌でサービス名をアピールする。
今回のCMが入るべきカテゴリーはA・B・Cのどれかだ。
まず、Aだとすれば、苦労しか描いていないところが問題である。
快適に使用できることと、使用した結果として快適になること、どちらかを示さなければ、このCMを見た人がその財・サービスを買うことはないだろう。
Bの場合、不便が緩和するということが紹介されておらず、CMとして不十分だ。
つまり、紙おむつを使う以前と以後でこんなに変わった*2ということを描かないと、紙おむつの効果が紹介できているとは言えない。
Cの場合も、ワンオペ育児という未知の問題に対し、紙おむつという解決策を提示したとは言えない内容だ。
むしろ、おむつ替えは苦痛であり、それを自分で乗り越えなければならない、苦しくても誰にも相談してはいけないという内容であるように読み取れる。
このように、この会社のCMはどの方式として捉えても、販促に値する内容とは言えない。
強いていうなら、その会社の名前が広まったことは炎上商法として成功しているのだが。
さて、ここからはどのようなCMを作ればよかったかについて考えていく。
買ってもらうことが目標
CMにおける最大の目標は、消費者に財・サービスを買ってもらうことである。
言い換えれば、CMの表現が消費者の購買意欲を刺激し、購入に至らせる。
それが消費者の不便を緩和するものだったにしろ、無意味に商品名を叫ぶだけだったにしろ、買いたいと思わせなければ、意味がないのだ。
もし仮にチョコレートのCMが「チョコレートを食べると虫歯になります。虫歯は最悪、死に関わる病気です」などというメッセージを発したら、消費者はそれを進んで買うだろうか?
怖いもの見たさに買う人はいるかもしれないが、「よし、これを買おう」と積極的には思わないはずだ。
つまり、消費者が商品に対してマイナスの感情を抱き、マイナスの感想を持つような映像はCMとして機能しないのだ。
今回の場合は、祖父母世代や第二子以降を育てている世代・検討している世代には子育ての辛い記憶を思い出させ、出産を検討している世代に忌避感を覚えさせた。
第一子を育てている世代に関してはCMの内容に共感している人もいるようだが、だからと言って、この会社のオムツを買いたいと思う人はそこまでいないようだ。
前の例に照らし合わせるとすれば、「虫歯って痛いよね」とは思わせられるが、「だから、チョコレートを買いたい」とは結論づけられづらい。
広告は購買意欲を掻き立ててなんぼだ。
応援とは何か
制作側としては、今回のCMには子育て世代への応援という意図があったようだ。
だが、実際には「育児は自己責任」とも取れる内容があり、子育て世代を応援しているようにはまるで見えない。
そもそも、企業がする応援というのは、財・サービスを使って人の生活を支えることである。
口先で励ますことは、企業の応援とは言えない。
例えば、アスリートを応援するスポーツ用品メーカーがあったとしよう。
このメーカーが沿道でマラソン選手に声援を送ったところで、彼らの力にはならない。
彼らがすべきことは、選手のために速く快適に走れるシューズを開発することであるはずだ。
このように、企業による応援はその企業の力を活かすものでなくてはならない。
では、今回の紙おむつのCMは企業の応援として適切だろうか?
いや、良い経験になるはずだと強調して、本人の助けになるようなことは一切表現していない。
紙おむつのエキスパートの立場から理想の子育てを提案するでもなく、紙おむつの便利さも示していない。
スタンドで応援していいのはサポーターだけであり、企業は力を使って選手をサポートすべきだ。
求められている内容とは
おむつのCMに求められるのは、乳児を取り巻く問題と、その解決法である紙おむつの提示である。
ワンオペ育児は広く認知されている問題だが、解決策や不便の緩和策が知られていないのが現状だ。
そこで、それを知らせることで解決することを検討する。
無論、解決法のひとつは紙おむつを使用することである。
それに加え、おむつを使う環境を提案することで、おむつ以外の問題にもコミットする。
競合他社の紙おむつのCMでは、乳児を取り巻く人々が積極的に乳児を助ける姿が描かれていた。
これは、袋ラーメンの写真に具を添えたら美味しそうに見えるのと同じ。
つまり、紙おむつの使用例だ。
日本であれば、各自治体などに専用のダイヤルや窓口も存在する。
そうした乳児を取り巻く支援の輪を紙おむつの使用例と解釈し、提示するのがこの手のCMの正しい表現の仕方である*3。
まとめ:問題と解決
今回のCMは、問題提起を行いながらも、自社の財・サービスでそれを解決できることを示しておらず、財・サービスのCMとしての価値が低い。
特に、少子化を背景に育児への理解がより一層求められる中で、ひとりで育児をする母親を口先だけで応援してしまったことは迂闊だった。
紙おむつがあなたの負担を和らげるということを少しでも明示すべきだったのだ。
そして、その商品の使い方として、麺以外の具を載せるラーメンの調理例のように、おむつ以外にも支援策があることを提示すればよかった。
このブログを読んでいるあなたも、赤ちゃんのいる可能性のある場所にいる限り、ラーメンの具なのである。
*1:両親学級に参加しよう<妊娠第22週>|【たまひよnet】
*2:漏れが減った、おむつ替えの時間が短縮された、誰でも簡単におむつ替えできるようになったなど。
*3:もちろん、消費者はラーメンをパッケージの写真通りに調理しないわけであり、それと違う盛り付けになっても問題ない。これはおむつでも同じで、誰もが子育て世代を応援する宗教画のようなことは起こらなくてもよい。