性別限定のイベントを開くことへの懸念
日々男性からの性的な目に晒されている女性。
男性の目から離れて出勤できたら、あるいは娯楽ができたら、さぞ楽なことだろう。
一方、男性の側も女性に配慮することなくのびのびとできる環境があったほうがよいという人もいるかもしれない。
商業的にはレディースデーや女性限定サービスなども存在し、「性別限定」というものは一定の市民権を得ている。
性別を限定されると得する人、困る人
女性なのに男性扱いされる人々
しかし、世の中には性別を限定されることで嫌な思い、辛い思いをする人がいることを忘れてはならない。
彼らは肉体的・精神的に、さまざまなレベルで「性別規制」の影響を受けている。
その彼らとは、性同一性障害やトランスジェンダーのような性的マイノリティの人々である。
そうした人々においては、自分は女性であると認識しており、ほとんど女性の格好をしているのに、公的身分としては男性なので女性として認められない。
あるいはその逆という状況がある。
つまり、イベントの主催者や性別限定サービスの提供者に理解がないと、トランス女性(生まれつきは男性だが性自認は女性)が男性扱いに、トランス男性(その逆)が女性扱いにされ、希望するサービスが受けられない可能性がある。
(逆の性のサービスは希望しない人も多い。)
男でも女でもない人々
一方、Xジェンダー(Androgynous)と呼ばれる人は、自分を男性とも女性とも認識していない。
性を意識させない服装をしていて、化粧をしたりショートヘアーにしたりと、自己表現の方向性は多岐にわたる。
Xジェンダーの人々は、自分に当てはまる区分がない中で、肉体の性のサービスを受けることとなる。
いずれにしても、トランスジェンダーやXジェンダーと呼ばれる人々は性別で分けるサービスなどで困ることが多い。
性自認を主張することを「わがままだ」という人もいて、サービス提供者側の規定上、生まれつきの性に従ってサービスを受けなければならないケースもある。
性的マイノリティの人々は、全員が一定の同じ状態にあるわけではなく、グラデーション(濃淡)を伴って、様々なレベルで存在している。
強く違和感を感じる人、若干の違和感を感じる人、性自認を主張することに諦念を感じている人など様々である。
率直に言えば、今求められているのは理解と許容だ。
性被害者
しかしながら、性暴力を含む犯罪の被害者で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)やいわゆる男性恐怖症・女性恐怖症に罹っている人も存在する。
こちらも程度には差があり、一生治らないケースもあるかもしれない。
そのような人々が異性から自由になれる場所というのは貴重である。
性的マイノリティと性的被害者、二者が参加しやすいイベントやサービスが求められている。
(ちなみに、トランスジェンダーや性同一性障害の中にも性被害を受ける人はいて、2つの問題は重なる場合がある。
トランスジェンダーや性同一性障害だからといって、加害者の側であるとは限らないことを覚えておきたい。)
こうした前提を踏まえて、性別限定のイベントやサービスが抱える問題と解決について考えていきたい。
本来分ける必要のないケース ーゲーム大会の事例ー
男女を分ける必要のないイベントでは、極力男女を分けないべきだろう。
「男女を分ける必要がない」とは、肉体的・精神的な事情から男女を区別し、隔絶する必要がないという意味である。
性別を分ける正当な根拠がないのに性別を分ける行為は、一部の人を排除してしまい、不適切だ。
分けるにしても、厳密な分け方は避けるべきだろう。
実際に、海外の女性限定のゲーム大会で、トランス女性が参加を禁止されるというケースもあった。
本来、ビデオゲームでは男女の体格差は影響しづらいが、男性がプレイするというイメージが強い。
女性限定の大会を作ることで、女性の需要を取り込みたかったのだろう。
しかし、男性の参加を避けたい主催者は、トランスジェンダー女性の参加を禁止してしまった。
中には出場者の公的身分証明書の提示を求めるケースもあるようで、ユーザーの指摘からルール変更を迫られるケースもあった。
女性の参加を促したかったゆえの企画が、一部の女性を排除していたというのは残念である。
必ずしも男女を分ける必要のない分野において、そのような厳格な対応はすべきではない。
(自称・トランスジェンダー女性が上記のような問題をニュースサイト等に告発したようだが、のちに男性によるなりすましだと判明した。
しかし、運営側は男性の行動を糾弾しつつも、ルール変更を約束している。)
求められる柔軟な対応
性的マイノリティの人への不誠実な対応が問題になることはよくある。
最近も、性別適合手術を受けたトランス女性が、日本のジムで男性として扱われる問題があった。
家族構成が理由で戸籍の性の変更基準を満たさない彼女は、女性の身体で男子更衣室を利用することを強制された。
ジムの規約は戸籍の性にこだわっており、様々な理由で戸籍の性を変更できない人が排除されていた。
世界にも頑なに戸籍主義・出生証明書主義を唱える人が少なくなく、希望しない性で扱われるケースがある。
それは自分のヘイトを法律(ときに聖典)を使って正当化しているに過ぎず、許されることではない*1。
ゲーム大会のように肌を晒す可能性がないイベントであれば尚更だ。
第三の選択肢 ー男女混合体育の事例ー
肉体的・精神的な理由から男女を分ける必要のあるイベントでも、なるべく第三の選択肢を用意することが求められる。
ある大学の選択制体育では、男子用・女子用の授業の他に、男女混合の授業が用意されている。
これは、和太鼓や剣道(形)のように肉体の直接的接触を伴わないもの、男女で体格差が出ないものが中心となる。
トランスジェンダー限定というわけではなく、個人のスケジュールに応じて誰でも自由に応募できる。
男女別の授業もあるので、性被害者が体育を受けづらいということはない。
こうした第三の選択肢を用意する上で留意すべきのは、性的マイノリティを第三の選択肢に押し込めて隔離するのがセクハラにあたるという点だ。
あくまで本人の意思によって第三の選択肢が選ばれるべきである。
そして、第三の選択肢は誰にでも開放されている状態が望ましい。
多目的トイレを障害者以外が使うこともできるのと同様に。
(もちろん、異性と一緒になりたくない人は、自分の性を選ぶことができる。)
つまり、肉体的・精神的な接触を伴う可能性のある性別限定イベントを主催する人に求められるのは、イベントを3種類用意することだ。
音楽ライブのように激しい接触が想定されるもの*2については、性別限定でイベントを開くことがある程度許容されるだろう*3。
男女で内容が変わる場合は、それぞれの映像をソフト化することでビジネスにつなげたい。
そして、可能な場合は男女混合の回も開いてほしい。
「女性向け」「男性向け」
「限定」にすることが不適切な場合でも、「向け」ということで主催者が希望する性の人を集めることは可能だ。
性別の基準を厳格化して排除するのではなく、性別の需要を取り入れることが大切である。
粗品や内容に男性のみ・女性のみが興味を持ちそうなものを入れる。
例えば、女性用化粧品のサンプルや男性に人気のアイドルなど、特定の性別でないと役に立たない内容を入れるぐらいであれば、許されるかもしれない。
ジェンダーが原因で参加できない人が出てくるぐらいなら、誰でも参加できるが対象以外はつまらないほうがマシだ。
まとめ
以上のように、特定のイベントやサービスを性別限定にしたり、性別で分けたりすると、困る人が出てくる。
性的マイノリティがいる一方で、性暴力の被害者のように異性と接触したくない人もいるので、第三の選択肢を用意するなどの柔軟な対応が必要だ。
全通ファンの存在
ところで、男女別でイベントを分けられると困るのは性的マイノリティだけではない。
イベント全通のファンも困る。
例えば、アイドルのライブなどで男性限定・女性限定のものを開くと、全てのライブに参加するような貢献度の高いファンが離れてしまう恐れがある。
そういう意味でも、〈女性の需要を取り込む=女性限定イベント〉という図式は無くしていったほうがよいだろう。