「妊娠した男性」をどう呼べばよいかという問題
駐日デンマーク大使館が、読む人が頭をかかえるようなツイートをした。
デンマークは国連人権員会に対し、「妊娠した女性」「妊婦」という表現は、トランスジェンダーの男性を差別しており使用すべきでないと提案しました。https://t.co/aAZmFxUg6j pic.twitter.com/NR07BRYu9G
— 駐日デンマーク大使館 (@DanishEmbTokyo) 2017年11月16日
「妊婦」が「トランスジェンダーの男性」への差別?
この分野を知らない人にとっては本当に意味不明だと思う。
これを私なりにわかりやすい日本語に直す。
「女性の肉体を持ちながら、男性でありたいと感じる人が妊娠した場合、『妊娠した女性』や『妊婦』と呼ぶのは不適切である。」
これなら、なんとなく意味がわかると思う。
そうした人の存在を意識し、言葉を変えていく必要があるのだ。
男性も妊娠
「トランスジェンダー男性」は一般的に、女性の肉体を持ちながら、男性でありたいと感じる人を指す。
彼らは生殖器官を摘出しない限り、妊娠が可能だ。
ネット上には、ひげを生やしながら大きなお腹を抱えた人の写真もあるので、ありえない話ではない。
彼らのパートナーは男性である。
勘違いされやすいのだが、誰が好きかということと、自分がどの性であるかというのは、連動しない。つまり、「肉体は女性、精神は男性、恋愛対象は男性」というのもありえる。
これがまさに、「トランスジェンダーの男性の妊婦」が成立しうるケースである。
彼らは、同性愛者でありながら出産可能という特権的な地位にあるので、その特権を行使したいという人もいるのだろう。
このように、女性の肉体を使って、男性のパートナーとの間に子どもを設けるという行為の存在を認めるべきだと、デンマーク政府は主張しているのだ。
存在を主張しづらいという難点
「妊娠したトランスジェンダー男性」が被っている不利益とはなんだろうか?
まず、医療サービスを受けづらい。自宅で無謀な出産をしたり、流産・死産になったりする可能性がある。
次に、トランスジェンダーであることが理解されなくなる恐れもある。
一般的に、妊娠は女性の機能・役割だと思われているため、「その人は女性でありたいのだ」と思う人も多いはずだ。そう思われれば、自分が望む待遇が周りから受けられなくなるかもしれない。
だから、男性でも妊娠する人がいるということを周知する意味でも、今回の試みは意義深い。
子宮移植の理論が確立
今月上旬、アメリカ生殖学会が、トランスジェンダー女性(肉体は男性、精神は女性)に子宮を移植することは(理論的には)可能だと発表した。
つまり、(トランスジェンダーでない)男性でも妊娠できる時代というのは、そう遠くない未来にくるかもしれない。
そう考えると、いずれ妊娠は女性だけのものという前提は崩れるはずで、性別中立的な呼び方も必要になる。
妊婦の男性版
「妊婦という言葉をなくすのは、言葉狩りではないのか?」
そういう意見も散見される。だが、われわれはすでに、特定の性別に偏ったいくつかの言葉を廃止している。
現に、「看護婦」は「看護師」に、「スチュワーデス」は「客室乗務員」に、「保母」は「保育士」に変わった。
また、英語圏でも、”fireman”が”firefighter”に、”policeman”が”police officer”になったりしている。
たしかに、年配の方はいまだに「看護婦」と言ったりするが、公の場では、それらの言葉が使われなくなっているはずだ。
女性らしさ満載の「妊娠」
日本全国で使われている「妊婦」という言葉を変えるのは難しいかもしれない。しかし、女性が強く意識された言葉である以上、それを性別中立的に補正する必要がある。
おまけに、日本語においては、「妊娠」それ自体が女性を前提とした概念である。したがって、「孕(はら)む」「身篭(みごも)る」など、女性が登場しない言葉に変えることが求められる。
法制度の変更
見てきたように、身篭ったトランスジェンダーの男性とその子どもを社会に受け入れるために、「妊婦」という言葉を変える必要がある。
もちろん、変えるべきなのは言葉だけではない。
日本もそうだが、多くの国で妊娠は女性が行うものという前提で法律が整備されている。
行政の手続きなどをトランスジェンダーを前提にしたものに変えていかないと、「妊娠したトランスジェンダーの男性」とその子どもが適切なケアを受けられない可能性がある。
トランスジェンダーの妊娠を認める上で、そういう部分も変えていく必要がありそうだ。