ジェンダーを強要しないことが大切
生徒に男性らしさ・女性らしさを押し付けない
前回の記事で、性別による生徒の区別をやめようという話をした。
身体的性別による区別が生徒の個性を否定し、抑圧する可能性があるためだ。
特に、女子生徒のスカートを強制することは、防犯・防寒の観点からも好ましくない。
「女子はスカートを履く」というレッテルを貼ることで、多様な性のあり方を否定することにもつながる。
だから、男子と女子を定型化している制服や校則を見直そうという話である。
従業員に性を押し付けない
職場で起きる女性に対するセクハラもまた、相手を女性として見ているケースが多い。
そうであれば、性を意識させない環境を作ったら、セクハラは減ると思う。
学校や職場のような1日の大半を過ごす場所から男性らしさ・女性らしさを強要する風潮をなくそう。
なぜ性を意識させてはいけないのか?
男女の扱いに差があってはならない
職場が男女平等であることは男女雇用機会均等法に、教育が男女平等であることは教育基本法に記されている*1。
もちろん、学校では保健体育の授業などで否応無しに性を意識することになる。
しかし、それは学校生活で「男の子だから◯◯しなさい」「女の子だから◯◯してはいけない」と言われるのとは違う。
性別の「壁」を感じさせることがよくないのだ。
学校においても、職場においても、社会的性別を理由とした男女の扱いの格差があってはならない。
性を持ち込むべき場所ではない
そもそも、職場や学校は性を持ち込む場所ではない。
それぞれ仕事をする場所、勉強する場所である。
本来、その構成員が髪を切ろうが、イケメンであろうが、関係ないはずだ。
また、業務時間中、職場の部下や同僚を恋愛目的で食事に誘うなどは、公私混同と言わざるを得ない。
プライベートを持ち込まず、熱心に仕事をする誠実な態度が求められている。
社会的性別によって男女の扱いを変えることはよくない。特に職場や学校は公の場であり、他者に性的視線を向けることは不適切だ。
性を表現する自由は?
自分の性を主張する自由は、性を意識させない環境と矛盾しない。
構成員がいずれの性であっても生きやすい環境が求められている。
願わくは、社会的な性にとらわれず、人それぞれが自分らしく生きられる空間がよい。
強要はNG 主張はOK
逆に、男性らしさ・女性らしさが強要される環境は問題である。
女性らしさを表現したい人が女性らしさを表現し、そうでない人が女性らしさを主張しないことが許される環境がベストだ。
一方、相手の身体的特徴について述べるのは、相手の性に言及する行為なので、当然セクハラである。
自分の性ではなく、自由には含まれない。
性が評価に関係するのはよくない
性を主張する自由はあるといえども、自分の性的な特徴(色気や性別そのもの)を使って、実力を伴わずに昇進すること・仕事を得ることは公平ではない。
声優やモデルなど、生体的な特徴がものをいう仕事もあるが、少なくとも接待による昇進は容認できない。
また、性別によって学校の成績評価にバイアスがかかるのもよくない。
女子へのえこひいきなども、なくしていくべきだ。
スカートを履くなど、自発的に性別を表現するのはOK。
性別を利用して、よい評価を得ようとするのは間違っている。
身体的な性差はどうするの?
身体的な性差を無視してはいけない。
身体的な性差によって不利にならない環境が求められる。
休めない環境は性差を生む
例えば、女性は休まずに働くことが困難な場合がある。
休まない前提で経営されている職場は、女性にとって不利だ。
一方で、育児休暇や病欠など、男性も取得するべき休暇が取れない状況は一部で続いている。
出産・育児休暇や女性特有の休暇が取得できないということがあってはならない。
休暇を要求されたときに休める環境が要求される。
あるいは、学校を休んではいけないという風潮を打破する必要がある。
休める制度づくりを
かといって、女性や既婚男性だけが休める制度になると、不公平感が否めない。
有給休暇の取得および学校の欠席のハードルはすべての人において下げるべきだ*2。
- 皆勤が求められる状況や皆勤賞という制度をなくす。
- 生徒が病欠・公欠以外で欠席しても、「ズル休み」にならないようにする*3。
- 誰かが休んでも、あるいは社内・校内で病気が流行しても、支障が出ないようにする。
- 男性社員が気軽に休暇を取れるようにする。
休めない職場は「男性が外で働き、女性が家庭で働く」というステレオタイプを容認しているも同然だ。
皆勤を美徳とする学校も、皆勤が難しい人にやさしくない。
力仕事は機械で代替
それから、男女で筋力に差があり、性別での役割分業は必須だという指摘もあるだろう。
だが、今の時代、筋力によってそこまでの差が出るだろうか?
荷物は台車を使えば運べるし、トラックや重機は女性でも運転できる。
そもそも、男性でも力仕事が苦手な人もいるわけで、「力仕事=男性」という前提は初めからおかしい。
人間でなくてもできる力仕事は人間以外に任せたほうが効率的だ。
昔の人だって牛やラクダに荷物を運ばせていたではないか。
いずれにしても、力仕事は道具や機械を活用し、なるべく性別で差が出ないようにすべきだ*4。
学校でも、「◯◯は男の子にやってもらおうか」というような性に基づく役割分担をやめたほうがよい。
身体的性別の違いを尊重しつつも、それが支障にならない環境が必要。
いろいろな話し相手を想定することが大事
「あれもセクハラ、これもセクハラでは満足に会話もできない」という声が一部であるようだ。
そのような人は無意識に会話の相手を侮蔑しているのだろう。
でも、下に見ることのできない相手を想定することで、セクハラを防ぐことが可能だ。
社長のあらゆるお子さんに言えるか?
「社長のご令嬢に言えないことはセクハラ」という考え方がある。
私からすれば、これだけでは不十分である。
それに加えて、社長のご子息、その他の性別のお子さんのことも考えてほしい*5。
そうしたお子さんに同じことを言えるだろうか?
「かわいいね」を「かっこいいね」に置き換えるなどではない。
同じことをそっくりそのまま別の性のお子さんに言えるかという問題だ。
- 失礼にあたるので言えないこと
- その性別の相手に言うのが恥ずかしいこと
- その性別では意味が通じないこと
そうした発言はセクハラである。
それ以外に、身だしなみの注意以外で外見に言及するのも、セクハラに当たる可能性がある。
ただし、身だしなみの注意であっても、言い方によってはセクハラに当たるかもしれない。
同じことを社長のお子さんに言えるかを考えてから発言すべきだ。
社長自身に言えるか?
お子さんがあらゆる性別だったことを想定しつつ、そのことを社長自身に言えるかということも考えてほしい。
結婚・妊娠やキャリアに関すること(マタハラ・パタハラ)は特に、そのような思考過程が必要だ*6。
社内で今後活躍されるであろう社長のご令嬢について、次のことを言えるだろうか?
- 「お嬢様もいい歳なのですから、結婚して退職させたらいかがですか?」
- 「おなかの赤ちゃんのために、お嬢様に退職していただくべきではないでしょうか?」
結婚・妊娠による退職勧奨は、キャリアをつぶすことである。
上司はその部下を、怪獣映画で怪獣に襲われて死ぬエキストラぐらいにしか思っていないのだろう。
これからが大事なのだから、会社の目先の利益だけで退職を強要することがないようにすべきである。
いずれにしても、セクハラ発言をなくすことで、過ごしやすい環境を作ることが大切だ。
*1:雇用における男女の均等な機会と待遇の確保のために |厚生労働省
*2:現実に、有給休暇の取得を利用とする解雇は違法だ。https://www.kamiookalaw.com/labor/l-07
*3:保護者の責任において、病欠・公欠以外の休暇を許してもよいと思う。現に、この国は「忌引き」の一言であらゆる児童・生徒の欠席を承認してきた。また、家族旅行による欠席もなぜか許されている。そこに、学校の管理から離れることで子どもの安全が脅かされるという視点はない。保護者の管理さえあれば、欠席に問題はないはずだ。それを他の子どもが糾弾しない教育もまた求められる。
*4:受付業務や高所の作業も同様で、道具や機械を用いれば、性別に関係なく仕事ができる。
*5:自分を男性とも女性とも思わない人、自分を男性と女性の中間だと思う人、自分の性別を定義しない人など、男女の枠組みにとらわれない人もいる。
*6:さすがに今はないと信じたいが、女子の進学を否定することも同様である。高校2年生のご令嬢を持つ校長や教育委員長、ひいては文部科学大臣に対して、「女に大学は必要ない」と言えるだろうか?